銀の燭台
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「此れ 憶えてる?」 そう云って彼女は手にした其れを、ダイニングの、椅子に腰掛ける彼に向かい、勿体ぶったようにそっと見せる。 都心から電車で20分、最寄り駅から徒歩10分に位置する、新築のマンション。 2LDKという広さながら、ウォークインクロゼットや高い天井を配した其れ、は、20代半ばの新婚家庭には贅沢過ぎる程。 友人知人を招待した際には随分と羨ましがられたものだ。 「………」 彼は微笑んだまま、何も答えない。 「ヒ・ン・ト・は、ね…夜景の綺麗な高層ビル、東京タワーのライティングと───…3年前の今夜」 もう判ったでしょ?と、彼女は悪戯が成功した子供のように嬉しそうに微笑む。 子供のような 「プロポーズ!…指輪は勿論嬉しかった…だけど、それ以上に───…」 燭台が造り出す、仄明るく照らす ───男の人、なのに…思わず見惚れたわ 「その時からね、ず〜っと欲しかったの 此れ、…またあの時の 彼は無言のまま、彼女の 「でも銀って手入れが大変。油断すると、直ぐにくすんでしまって」 ことん 小さな音を立て、銀色の燭台はテーブルに置かれた。既に建てられている3本のローソクへ1本ずつ火を灯してゆく。 柔らかな色彩。柔らかな温度。 薄暗くしたダイニングを照らす、唯一の明り。 テーブルには既にセッティングされた食器達、飾られた花。消して広くも豪華でもないけれど暖かな───… 「もう3年も…いえ、まだ3年しか経っていないわね」 燭台を見詰める彼女の瞳が潤んでいるように視えるのは気のせいであろうか。 「カトラリーも全て『銀』なのよ?気付いてた?──…何時だったか、あなたが『銀食器は憧れだ』って仰っていたから」 彼は少し俯いたまま、一言も口にはしない。話しているのは彼女だけだ。 「そのタイピンも銀、結構探したのよ?そのネクタイに似合うものをって…使って貰えるものを贈りたいじゃない?」 なのに…、と 彼女は小さく小さく呟いた。 「───…何故、そのネクタイを私は『知らない』のかしら」 彼の首に巻かれている薄い臙脂色のネクタイ。 「あなたの服も何もかも私が準備しているのに───…ねぇ?」 彼女は悠然と微笑む。 泣き笑いのよう、な、勝ち誇ったよう、な、笑み、と伏せられた睫毛。 怯えるように彼の躯がぐらり、と傾いた。 「ちゃーんとお手入れしていたのに…ねぇ?」 仕立てのいい洋服達 適度、な、睡眠時間 適度な仕事内容と量 全て、は あなたの為、だけ、に 彼女の父親が社長であるからこそ、叶えられた我が侭。 彼女の一目惚れから始まった恋──…そう、彼女は恋、だと思っていた。 其れこそプロポーズされた瞬間は、其れこそ夢見心地、で。だから───…気付くのが遅れた。 全てが幻想であったこと。打算の上に成り立った婚姻で有ったこと。 結婚前から付き合っていた女性と切れていないコト、切れる気などカケラも無いことも。 傾いた彼の躯は其の体制を戻す事無く───…椅子から滑り落ちた。薄い臙脂色のネクタイは彼のワイシャツではなく、直に 首に絡み付き、その息の根を止めている。 「───…ま、いいわ。 転がり落ち、物言わぬ物体となりし元夫の胸ポケットから携帯電話を取り出し、あるオンナの名前を表示させ───… 艶然を微笑む。 禍々しい程の、鮮やかさ、で。 「今度はもっと手の掛からない人がいいわってパパにお願いしなくちゃ」 |
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