昆虫大図鑑










         時計の針は既に日付変更線を越え ーーーーー 所謂『 深夜 』と呼ばれる時間帯 を
         指している。
         アルベルトは 独り 暗いリビングで、グラスを傾けていた。



        「まだ 呑んでたの ‥‥ 呑んでばかり、だと 歳取ってから ‥‥太る わよ?」


         のんびりとした 口調で、さり気なーく『 酷いこと 』を云ってのける のは
         亜麻色の髪を 緩やかに靡かせる うら若き女性。

        「‥‥酷い云われ方、だな」
        「わたし は『 現実 』を云ってるだけ、よ?」
        「否定‥‥は 出来んな」
        「でも 見てみたい、かもーーーお腹が出て、禿げ上がっても‥‥ビアジョッキだけ、は
         離さない ーーー アルベルト」
        「‥‥‥‥‥‥‥」



         くすくす と声を上げて 笑うフランソワーズは、アルベルトの手にした グラスを
         眺めながら、小首を傾げる。

        「何?それ」
        「‥‥バーボン」
        「バーボン‥‥ふぅん  ‥‥ね ぇ‥ 美味しい? それ」
        「‥‥さぁ」
        「美味しくもない、のに ‥‥飲む の?」
        「‥‥‥‥‥‥」
        「‥‥ね 一口 くれない?」
        「駄目だ」
        「どうして?」
        「子供の飲むモノじゃ ない」



        『 子供 』と云う科白(ことば)に、フランソワーズの柳眉が 微かに 跳ね上がった。
         しかし それ、は本当に 一瞬のこと ーーー 直ぐに 春満開 桜満開 最上級の
         微笑を 顔(かんばせ)に乗せ、足音も なく アルベルトに近付く と ーーーー






         ちょこん






         まるで 子供のよう に、膝の上に腰掛ける。華奢な腕をゆるゆると伸ばし 左腕を
         アルベルトの首に絡める。
         上目遣い に ーーー 『 凝視 』と云ってもいい程、に 見つめ ーーーーーー



        「 ヒトクチ 頂戴 」



         その表情、も その声音(こえ)も ‥‥ 相手を陥落させん が如く‥‥ だが。
         視線 ーーー もとい『 気持ち 』は アルベルトの右手に 納まっている ーーー
         正確、には グラスの『 中身 』に向いている。

        「駄目だ」
        「 ‥‥ ダ メ ? 」
        「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥そんな表情(かお)をしても駄目だ」

        「どうしても?」
        「どうしても」
         フランソワーズ は 己が腰掛けた彼(か)の人を まじまじ と視る。
         絡めていた左腕を外すと、ふわり と微笑う。



        「‥‥だと思った」



         微笑を湛(たた)えた その顔、の 瞳だけが きらり と光った。



         きゅぴ〜んっ



         聴き慣れた音が 耳を劈(つんざ)き、手の中のグラスはいとも簡単に消失 ーーー
         もとい、奪い取られてしまう。

         ーーーーーー そう、加速装置搭載、最新型 の   ジョー に。











        「ありがとう ジョー」

         澄み渡る空の如き、『 爽やか 』笑顔 でグラスを手にした青年 ーーー 少年と青年の
         狭間の姿、を 永遠に留めし人に 声を掛ける。

        「どういたしまして」

         負けず劣らず『 爽やか 』笑顔、で 返答する 栗色の髪の青年に アルベルトは
         苦渋の色を 知らず知らずのうち、に 濃くする。
        「‥‥ジョー 家の中で力を使うな」
        「大丈夫だよ 低速、だから‥服も 燃えない し」
        「そういう問題じゃ ない」






        「そうだぜ オッサン、は 単に酒を獲(と)られて悔しいだけ じゃねぇの?」
        「‥‥‥お前は 混ざる、な ‥‥話がややこしくなる」
        「へぇ〜っ ‥‥ジョー と随分『 扱いが違う 』じゃねぇか」
        「お前に何を云っても 無駄、だから な」
        「どういう意味だ‥‥それ」

         ふらり と現れた 背の高い 赤い髪の青年、は 姿を見せて 数秒後には戦闘態勢に
         入っている。旧式とは云え、加速装置搭載。その気性も又 365日年中無休で加速状態
         であるらしい。ーーーー その姿 は、正に『 天然瞬間湯沸かし器 』。



        「そんなに飲みたかったら そのボトルを獲ればいいのに」
         ジョーが至って普通のコトを 訊いてくる。
        「飲みたいのは 一口、なんだもの そんなには 要らな‥‥」
         科白が不自然に途切れる。不審に思ったジョーがフランソワーズを視る と ーーー
         フランソワーズ、は 蒼褪め ‥‥ 心なしか、震えている。


        「 居る、わ‥‥ 」


         震える指で、示した その方角には ーーーー




        「‥‥カメムシ?」




         ジョーが首を傾げて フランソワーズに訊う、が 解答(こたえ)は返らず、代わりに
         遣わされた のは ーーーーーーー 殆ど『 悲鳴 』に 近い、叫び声。






        「 わたし あの虫大嫌い なのーっ!! 」






         その科白を『 合図 』に、それ は飛翔する ーーー フランソワーズ、に向かって。









        「やだやだやだぁぁぁっ!!こっち 来ないで ってばぁぁっ!!!」

         頭を抱え、カメムシから身を隠すか のよう に フランソワーズはアルベルトの胸へ
         顔を埋(うず)め、手 だけで 追い払おうとする。

         ーーー 本人、は 至って『 必死 』なのだが、如何せん 体勢が体勢なだけ に
         10代2人組の胸中は 決して穏やかでは ーーー ない。



        「『 カメムシ 』って‥‥噛み付くのか?」

         ジェットは首を傾げつつ、逃げ惑う フランソワーズを眺めている。
        「噛み付きはしない‥‥と 思う、けど ‥‥触ると 厭な臭いがする かな」
         ジョーは カメムシとフランソワーズを交互に見やり、さてどうしたものか と
         独り思案している。

         ーーー 尤も。
         その目的は『 一刻も早く、アルベルトとフランソワーズを 引き離す 』
         の1点にのみ、向けられている のであるが ーーー 。


         そうして ーーー ジョーの切なる『 願い 』は程なく、叶うコト と なった。









         ブ〜ン ‥‥

         カメムシは 何時の間にやら その進路を変え、ジェットに向かって飛んでくる。
         当のジェット、は と云えば ‥‥ 先程のジョーの 科白も 何のその、片手 で
         軽く追い払う ーーー が、その一瞬、で カメムシに停まられて しまった。


        「ジェット‥‥ その臭い 暫く取れない よ? ‥‥その手で近くに寄らないで ね」
        「てめぇまで 何、抜かしてやがるっ こーんな虫の1匹や2匹 ‥‥」
         ジェットは そ知らぬ表情(かお)で、一瞬 停まられた 箇所に鼻を当てた。




        「 何だぁぁぁっ!?コレェェェ〜っ!!! 」




        「‥‥だか、ら 云ったじゃない か 『 厭な臭いが する 』って」



         他人(ひと)の話 は、聞きなよね と、溜息混じり に云われた とて 既に
         起こってしまった こと ーーー ジェット は 只々、停まられた手を振って、
         災いの根源を絶つ、しか なく ーーーーーー 。






         ‥‥ ぽちゃ ん

        「 ぁ 」

         振りほどいた『 元凶 』の行き着いた先、は ーーー ジョーが手にした グラスの中。



        「「「「 ‥‥‥‥ 」」」」



           ーーー 暫しの『 沈黙 』が、狭くはない リビング、を 支配し ‥‥ そして



        「‥‥コレ 返すね」



         小さく呟かれた科白と共に すとんっ と グラスがアルベルトの手に 戻された。
         瞬間、フランソワーズは 加速装置顔負けの速さで その場 ーーー アルベルト の
         膝の上から 飛び退き、出入り口へと向かう。
         それに習うようにして、ジョーもまた 出入り口へ さり気なーく 移動した。




        「「 じゃ そういうコト、で! 」」




         ジョーとフランソワーズ ーーー 2人、して『 爽やか笑顔 』だけ、を 残して
         そそくさと リビングを後にした ーーー 。











         ‥‥‥ 呆然。

         その言葉が ぴったり、の リビングに取り残された 約2名は、と 云えば。






         治まらぬ三十路男の憤り が、目前の赤い髪を持つ 万年青少年へ 矛先を向けるのに
         そう 時間は ーーー 掛からなかった。












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