大人の秘密




         桜の季節も終わりに近付いた頃。
         温かな日差しがリビングを優しく包んでいる。
         読書も一段落し、休憩でもしようかと アルベルトは階下へ降りてきたのだが。


        「‥‥何をしてる」
         リビングに先住している3名 フランソワーズとジョーとジェット。
         それ自体は至極普通のことなのだが、何故か 子供2人 はフランソワーズに
         膝枕され、幸せそうな寝息を立てている。
        「何って‥‥ お昼寝に 見えない?」
         右にジェット、左にジョーの頭をそれぞれ乗せ、その額をいとおしげに撫でる。
        「いやそうじゃなくて ‥‥何で‥‥」


         その情景が理解不能 とでも云うようにアルベルトは 眉をひそめる。
         『 不快 』という意味合いのものではない のだが ‥‥‥ 。

         アルベルトの心理を察したか、フランソワーズはアルベルトに視線を移した。

        「これ?1人でも可愛いのにね 2人揃うと凶悪な程 可愛い と思わない?」
         見えはしないが語尾にはきっと ハートマークがついているであろう表情で
         悠然と彼女は微笑む。その表情 は まるで聖母のような慈愛に満ちて。
         それにしても ‥‥ 大の男2人を捕まえて、
        「凶悪な程、可愛いって‥‥‥‥ 可愛い か ?‥‥コレ が」
        「あら そう思うのは、わたしだけ かしら?」
         小首を傾げ 上目遣いの表情は先程とは全く違い、童女のように あどけない。


            ‥‥ 俺に同意を求められても 困るんだが


         アルベルトは 心の中で彼女に意見してみる。
         確かにある意味では『 可愛い 』と云えるかもしれない。
         しかし彼女の云う『 可愛い 』とは 意味が 違う。どちらかというと


        『 成りばかりが大きい 毛色の違う仔犬が2匹 』


         もしかしたら彼女は気を悪くするかもしれんな と思いつつ、遠慮の欠片もない
         意見を口にするアルベルトだったが、思いがけず返ってきた答え は意外にも

        「そうでしょう!?あたしもそう思うのっ」


            ‥‥‥‥‥‥‥ おい


         アルベルトは大きな溜め息をついた。
         何故なら彼は『 仔犬2匹 』の 姫君に対する 想い を知っているから。
         2匹とも彼女のことを、ひとりの『 女性 』として 意識 している。
         コト有る毎に 彼女に纏わり付き、且つ目障りなライバルを排除しよう と
         躍起になっている。その後ろ姿が じゃれあう仔犬 を 彷彿 とさせる。
         それが『 仔犬 』と呼ばれてしまう所以ではあるのだが ‥‥‥ 。
         しかし、肝心の姫君がこれでは ‥‥ 他人事と云えど、あまりに不憫。
         流石のアルベルトも 2匹に同情を禁じえない。
        「そう思うのは勝手だが ‥‥‥それ 2人には云うなよ」
         一応言っておく とアルベルトは声を落として 呟いた。
        「えぇっ どうして?」
         フランソワーズは瞳を見開いた。あ、でも と言って視線を2匹の上に落とす。
        「もう云ったけど?可愛い も 仔犬みたい も」


            ‥‥ 頼むから 俺の心労を増やさんでくれ ‥‥


         そんなアルベルトの心中(しんちゅう)を フランソワーズが知る筈もなく。
        「気付いていない訳じゃないだろう?‥‥仔犬達の気持ちに」
         柔らかな日差しを浴びるソファの、フランソワーズの向かいに腰を下ろす。
         その科白(ことば)と同時にフランソワーズがゆっくりと顔を上げる。
         怒るでもなく照れるでもなく、真っ直ぐ自分を見る表情は 以前にも‥‥ 。


            ‥‥ あれは ‥‥ 誰 だったか ‥‥ ?


        「心は決まっているんだろう?だったら中途半端な期待は持たせないほうがいい」
         フランソワーズの頬が ぱぁっと 桜の花びらのような薄桃色 に 染まった。

        「 ‥‥‥ いつから ばれてた の?」
        「ま、何となく ‥‥だな」

         二人の間を交差する空気が自分達に対する それ と 違ってきたから。
         少し俯くフランソワーズの表情はどこか 甘やか で。
         遠い昔に捨てざるを得なかった 普通の ‥‥ 普通の少女と 同じ。

         恋をする 少女 の 表情

        『 女は魔物 』とはよく云ったもの で。一瞬一瞬に、その表情を変えてゆく。
         瞳が自然とその姿を 追い求め、惹かれて ‥‥ 気が付けば 囚われて。
         気まぐれで掴み処がなく、手を伸ばせば するり と逃げてしまう。


            ‥‥ 『 彼女 』 の よう に


         未だアルベルトの心を捉えて離さない、触れることもない 最愛の 女性。
         長い時間(とき)を掛け、濾過された記憶の中、笑顔 だけを鮮やかに刻んで。

        「今回も隠し通せると思ったんだけどなぁ」

         フランソワーズは悪戯っ子のように、小さく舌を出して ふふっ と微笑う。
         久しぶりだから カンが鈍ったかな と楽しそうに、天井を見上げた。


            ‥‥ 久しぶりだから カンが鈍った?


         と云うことは、以前(まえ)にも 隠し通した事がある というコト で。
        「へぇ‥‥お前さんほどの人に想われて 不満な男 が居たのか?」
         アルベルトは興味深そうにフランソワーズの科白(ことば)に耳を傾けた。
         そういえばこういった話はお互いに聞いたことがない。‥‥ まぁ、
         他人に吹聴してまわる様なことでもない ‥‥ しかも自分相手には、尚更。


            あの頃は 1日を生き延びる事が 全て で
            1秒後 の 未来すら ‥‥ 暗闇の中 で


         アルベルトが思考の海を漂いかけた時。彼女の膝で眠る2匹が聞いたら
         卒倒するような科白を 我等が姫君は さらり と云ってのけた。




        「わたし あなたのことが好きだったのよ ‥‥ アルベルト」


         大輪の 艶やかな微笑み を 添えて。 






            唐突に 彼女の 視線の意味 を理解した

            真っ直ぐに自分を見る 表情の 甘やかさ

            ヒルダ が 俺を見ている時と同じ 表情




         うふふっ と耳に心地よいトーンで、フランソワーズは楽しそうに 笑う。
        「気付いてなかったでしょう?‥‥ だって わたし隠すの 得意 だから」
        「‥‥悪かったな 全然気が付かなくて」
        「『 全然 』って云われるのも ちょっと 傷付くんだけど?」
         その表情は、科白(ことば)とは裏腹に とても嬉しそう で、 明らかに
         揶揄(からか)う 響き を含んでいる。

         はーっ とわざと大きな溜め息をつき、ソファにもたれかかる。
        「 ‥‥お互いに 余裕がなかった から」
         そう呟くと、フランソワーズは瞬時に その表情を変えた。
         他の誰も見たことがないだろう酸(す)いも甘いも知り尽くした ような。
         共に長い時間を 過ごしてきた 自分だけが知っている 表情(かお)。


         強くて 哀しい 『 大人の女 』


         そこに19歳の 少女の面影 は 見出せず。
        「あなたの力になりたかった でもあの時 は‥‥ 負担を増やすだけだって
         判ってたから‥‥ だから ‥‥だから 懸命に隠してた ‥それに ‥‥」
         消え入りそうな儚い微笑み を浮かべてフランソワーズは ‥ 瞼を伏せた。

        「わたしが 入り込む 隙間 はなかったし」
         一瞬、泣いている様に見えたのは ‥‥ 気のせいだろうか。

        「‥‥確かにな」
         アルベルトは口許に苦笑が浮かべ、自分が失念していたことを悟る。

         彼女が 聡い人間 だということ を。

         想いを伝えなかったのはアルベルトの気持ちを最優先した結果なのだろう。
         アルベルト側にもその許容量がなかったという事実さえ、彼女 は ‥‥
         フランソワーズは 察していたのだろう。

         その強化された目と耳とは 違う次元 で。


        「今なら‥‥どうだろうな」


         アルベルトの瞳(め)がフランソワーズの 伏せ気味の表情 を捉える。
         手袋で隠されたほうの『 手 』で、彼女の髪先に 触れた。
         ぴくり とフランソワーズの肩が反応して、伏せた瞼が持ち上げられて ‥‥
         アルベルトとフランソワーズの視線が絡み合う。




         何処からか入り込んできた風が二人の間を音もなく駆け去ってゆく。
         何の音も聴こえず ‥‥ とても 静か だった。


         くすくすっ

         二人は同時に笑い出した。それは 二人にしか判らない 笑い方 で。
        「いやぁだ アルベルトったら」
        「全くだ」
         最初は声を殺して笑っていたが、その声は段々と大き くなってゆく。
         その声に誘われるように、彼女の膝の上の2匹が目を醒ました。

        「ぅ‥‥ん‥‥ ?あ れ‥‥ ア ルベ ル トぉ‥ ?」


         最初に目醒めたのは ジョー だった。
         ジョーは、目醒めてから頭が回転するのに少々‥‥ かなり 時間が掛かる。
        「どうだった?姫君の膝枕 は」
         膝枕ぁ?と寝ぼけ眼で答えかけた彼の頭もこの日は目醒めた途端にフル回転。
        「うっ‥‥ うわあぁぁっ!?」
         悲鳴と共に勢いよく起き上がる。その顔はゆでだこのように 真っ紅だ。
         どうやら思考回路が 眠る前と繋がった らしい。
         うわぁうわぁ と騒ぐその声でジェットも目醒めた。
        「 ‥‥んぁ うっせぇぞ‥‥ 」
         ジェットの寝起きはジョーとは 別の意味で ‥‥‥ 悪い。
         フランソワーズから離れろーっ! と所有権を主張するジョーに、にべもなく
        「やなこった」
         と、足蹴にして フランソワーズに抱きつく。何とも対照的である。
         同い年の二人だが、その アプローチの仕方は 正反対。
         小細工や遠回し は一切せず 『 何時でも直球勝負! 』の ジェット。
         憂いに充ちた瞳で相手を見つめ、『 かまって光線大放出! 』の ジョー。
         庇護欲を掻き立てる大きな瞳 は、ある意味 無敵 である が、本人無自覚。
         ‥‥ どちらにせよ 子供のアプローチ以外の何者でもない が。

         何時もの ‥‥‥ 何時もの光景が アルベルトの眼前に広がる。


            大人の時間は 終わり だな


         仔犬2匹がじゃれあう姿に苦笑いするしかないアルベルト だが。
         このまま姫君を仔犬に渡してしまうのは勿体無い ‥‥もとい、面白くない。


            さっきの事もあるし な



         人の悪い微笑を口許に浮かべ、コーヒーでも淹れてこよう と云いつつ立ち上がる。
         すれ違いざま、フランソワーズの耳元に2匹には聴こえない位の 声音で。


        「 Es hat liebte 」







            これ位の悪戯(いたずら)は 許されても いいだろう?

            俺だってフランソワーズに 揶揄(からか)われたんだし


            ‥‥‥ ヒルダ


            君を幸せには ‥‥ 出来なかったけれど ‥‥ それでも

            幸せになってほしいと願ってしまうのは 我が侭 だろうか

            君によく似た瞳の 姫君 と 未来を担う筈だった 子供達



         瞬間、フランソワーズの頬が 鮮やかな紅色 に染まる。
         先程の薄桃色とは 比べ物にならない 紅(あか)。

         色気すら 感じさせる 艶やかな 表情

         その表情を2匹は見たことがなかったのだろう。
        「ア〜ル〜ベ〜ル〜トォォォッ!!!」
         ジェットが血相を変えて アルベルトの胸ぐらを掴む。
        「お前かぁ!?お前が敵かあぁっ〜!!」
         ちぃぃっくしょぉぉっ! と叫びながら。‥‥ 一方、ジョー は。
         フランソワーズの顔を覗き込み、自分も顔を紅くして うろたえるばかり。


            ‥‥ お前が紅くなってどうする


         アルベルトは思わず呟かずにいられなかった ‥‥ 勿論、心の中で。
        「アルベルトは何て云ったの?ねぇ フランソワーズ」
         僕よりアルベルトのほうがいいの? とでも云いたげな 瞳 で。
        「なっ‥‥何でもない から‥‥気にしない で」

         フランソワーズは真っ紅になった自分の頬を包み込むように 手を添えている。
        「何もない訳ないだろっ フランッ あのオヤジ 何ぬかしやがったんだ!?」
         ‥‥ちょっと 引っかかるフレーズ があったが、敢えて 無視 を決め込む。
         ジェットがアルベルトを離すと、後ろからフランソワーズの首に抱きついた。
         それを見たジョーが悲鳴を上げる。

        「だからぁぁっ!フランソワーズに触るなぁっ!」


            やれやれ


         ほほえましい というか 莫迦な子ほど可愛い というか。
         2匹 ‥‥もとい、2人がアルベルトの恋敵(ライバル)に なるには まだ
         時間が掛かりそうである。尤(もっと)も『 ありえない話 』である が。


            ‥‥‥ 過去形 だからな


        『 あなたのことが好きだった 』フランソワーズは、確かにそう云った。
        『 だった 』 と。
         終わってしまったものを追う趣味はアルベルトには無い‥‥ 無論、彼女とて。


            もしも彼女の気持ちが あの時のまま だったら


         ふと、有り得ない事を考えてみる。
         現在(いま)と 状況が変わっていただろうか と。


            ‥‥ 有り得ない だろう な


         勝ち負けではなく、この2匹と争う気は毛頭ない。愛すべき 子供達。


            ‥‥ まるで『 保護者 』だな


         アルベルトは自分の思考に思わず 苦笑いする。
         この2匹が大人になるのは 一体、何時の日か。
         その日が来る事 が、待ち遠しいような ‥‥ 複雑なような。
         アルベルトの口許を彩るのは、心底楽しそうな揶揄(からか)いの 微笑み。


            まだまだ 遊ぶ余地有り だな


         フランソワーズが振り向きざま、上目遣いにアルベルトの顔を見ていた。
         その頬は相変わらず 鮮やかな紅色の まま。
        「‥‥ アルベルトの‥‥馬鹿‥‥」
         細く可愛らしい抗議の声が 2匹に トドメを刺す結果 となった。
        「オレは負けないぞっ 絶対に負けないからなっ!アルベルトォッ!」
         右手の人差し指を突き出し、アルベルトに宣戦布告するジェット。
         紅い顔が一転、燃え尽きた様に真っ白になるジョー。
        「 ‥‥‥ 」
         あまりの事に言葉も出ないらしい。



            これ位の悪戯(いたずら)は 許されても いいだろう?

            俺だってフランソワーズに 揶揄(からか)われたんだし


            ‥‥‥ ヒルダ


            君を幸せには ‥‥ 出来なかったけれど ‥‥ それでも

            幸せになってほしいと願ってしまうのは 我が侭 だろうか

            君によく似た瞳の 姫君 と 未来を担う筈だった 子供達




         アルベルトそっちのけで、ジョーとジェットがフランソワーズに詰め寄った。
        「何なんだっ!?何云ったんだ アルベルトの野郎っ!すっげー気になるっ!」
        「 ‥‥‥ 」
         吼えるジェット、フランソワーズの手を取り、潤んだ瞳で顔を覗き込むジョー。


            その『 いっぱいいっぱい 』な処が 仔犬 と云われるんだぞ
            自覚は ‥‥‥‥ ない だろうな


           その心中で相変わらず容赦なくこき下ろす アルベルト。



        「え〜‥と‥‥その‥ っ‥‥ ひ み つ っ‥‥」
         平常心を取り戻したのか、フランソワーズの顔色が元に戻ってくる。
         アルベルトへ、一瞬 瞳(め)を合わせ、人差し指を口許で立てる。
         ふふっ と 魅惑的な微笑み付き で。


        「 秘密 よ 」


         何だよ それ〜っ!っと異口同音に唱えるジョーとジェット。
         2匹がアルベルトと 張り合える日は、限りなく ‥‥ 遠い未来 だろう。
        「お前達が大人になったら教えてやらんこともない ‥‥ かも しれん」
         ま、気が向いたらな と畳み掛ける アルベルト。
         ついでに 死んでも無理だろうな と大層な『 おまけ 』まで 付けて。



         舞い込んだ風には散り際の桜の花びら ‥‥ 差し込む温かな日差し。
         ゆっくりと 穏やかに 日常が流れてゆく。












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