Happiness どんなに離れても、きっと。 「あ、雪だわ」 「道理で寒くなるはずだ」 窓から外を見ていた少女の、嬉しそうな声。それに応じる青年の声には、憮然とした色。 「ハインリヒ、あなた雪が嫌いなの?」 「別に、好きでも嫌いでも」 「その口ぶりだと、説得力皆無ね」 「……そうかい」 金色の髪の毛をかきあげ、少女が微笑む。その鮮やかな笑顔は、見る者の心を惹き付ける。当の本人は自覚しているのかいないのか、わからないが。 「わたしは冬が好きよ」 「ほう。そりゃまた、どうしてだい」 「あら、だって……」 ふわりと窓のほうに躰を翻し、歌うように彼女は言った。 「好きな人と一緒に居れば、これほどに暖かい季節はないでしょう?」 ああ、その言葉。 それを、自分は知っている。 かつて、愛した人。その人も、同じことを言っていた。 ――アルベルト、わたしは冬が好きよ。 ――おれはあまり好きじゃないがね。 指が動かなくなるから、と苦笑した。 ――そりゃ、水仕事なんかは辛いけど。でもね、アルベルト……。 微笑む顔は、とても綺麗だった。幸せを両腕一杯に抱えた、幼い子どものように明朗な笑顔。 ――あなたの暖かさをとても嬉しく思えるわ。好きな人と一緒に過ごすのに、こんな素敵な季節はないものよ。 さらりと、それでも深い想いのこめられたその言葉に、不覚にも狼狽した。自身とは違い、彼女は素直に感情を口にする。その甘い言葉を聞くと、顔が熱くなってくるのを止められない。 それでも、その気恥ずかしさが嫌いではなかった。そうして、無条件に自分を想ってくれる人が愛しくてたまらない。言葉にすることは苦手だが、その実、想いの大きさは彼女以上であったかもしれない。 要するに、惚れ抜いているわけだ。 仕種、言葉、ひとつひとつに他愛なく惑乱してしまうほどに。 ――青臭いガキに成り下がっちまったもんだな……。 ぼそりと呟いた言葉を、彼女が聞きとがめる。 ――ガキでいいじゃない、アルベルト。 ――おれは、オトナで居たいんだがね。 ――オトナなあなたもいいけれど、ガキのあなたも好きよ。 くつくつと、笑いを含んだ声で言われた。いいように手玉に取られている気がしないでもないが、これも一興だ。 ――まぁ、ガキには……。 それでも意趣を返したくて、傍に居る女性の腕を引く。 素直に抱き寄せられる彼女が、愛しい。 ――こんなキスはできないだろうさ。 触れる。 吐息が。 交わる。 熱が。 ただ、傍に居るだけでよかった。 そのぬくもりを、いつも感じていられれば。 冬は好きだ。 寄り添いあえる季節だから。 だけれども。 今は……。 「ハインリヒ?」 声をかけられ、我に返った。心配そうにこちらをうかがう、鮮やかな少女。窓は強い風にがたがたと揺さぶられており、どうやら優しい降雪ではないようだ。 「……何か?」 「それはこっちの科白よ。難しい顔をして、何を考えているの?」 「ああ……。大したことじゃない」 昔のことを、少し。 言葉には出さず、胸の中でそう答えた。 「……そう」 何も訊かない。 触れるべきでないと、わかっているのだろう。 その聡明さを、好ましいと思う。 再び、少女が窓の外に目をやる。それにつられて、青年もまた、窓の外を見た。 荒れ模様の天候。こう吹雪いていては、買出しに出た仲間はさぞかし大変だろう。どんなに高度な調節機能を身の内に持っているとはいえ、これほどの風、これほどの雪だ。並の人間よりははるかに有利であろうが、今回の買出し担当は、気が短い年少組ふたりである。 「雪塗れになって帰ってくるんだろうな、ガキども」 「そうね。ジョーの車で出かけたから」 「オープンカーなんぞに乗る奴の気が知れないな」 「季節によるわね、それは」 窓に指をすべらせ、少女が笑う。 「抱き合ってお互いに暖めあう、なんてことはあの二人には出来ないし。オープンカーはさぞかし寒いでしょうね」 「……お嬢さん、凄いことを考えるね……。あの二人が、抱き合う……?」 「喧嘩になるわよね。寒いんだよ! って。おまえもっと体温高くないのかよ! って」 「あの鳥頭なら、言うだろうな」 彼らの喧嘩を想像して、知らず笑いが口元に浮かぶ。それを狙いすましていたかのように、くるりと少女がこちらを振り返った。 舞うように、無駄の全く感じられない優雅な挙措で、彼女は動く。その所作のひとつひとつが、恐ろしいほどに鮮やかで、見惚れてしまう。 「笑ってくれたわね、ハインリヒ」 「え?」 「ずっと、憂鬱そうだったもの。あなた、ここに」 自分の眉間を指差して、口をへの字に曲げる。 「皺が寄ってるわ。あんまりそうやっていると、皺が取れなくなるわよ」 「……不機嫌そうな顔は、もとからだがね」 「あら、そんな筈ないわ。わたしは知っているもの」 花が綻ぶように、少女は笑う。 幾度見ても、その表情の変化には息を呑む。決して自分には出来ないであろう、と。 「死神さん。あなたが、本当はとても優しくて、傷つきやすいってね。どんなに冷徹に見えても、あなたはわたしたちの中で、一番繊細だわ。……愛した人を忘れられないことも、だから、雪の季節が苦手なことも、わたしはわかってるわ」 パリジェンヌの、鋭い観察眼に舌をまく。昔の恋を引きずっていることなど、匂わせたつもりは更々無かったのだけれども、少女の目には明らかだったというのだ。 「忘れられないことはないさ……。もう、随分と長い時間がすぎた……」 忘れなければならない。 残った疵は、ときにとても痛む。 泣きたくなるほどに、強い苦痛。 だが、忘れてしまえるものでもない。あの幸福な時間は、忘れてしまえるものではないのだ。 切なさも。 哀しさも。 愛しさも。 恋しさも。 …忘れられる、筈などないな。 口ではどう言おうと、引きずってしまう。強がって見せても、少女に看破されたとおり、自分はひどく弱いのだ。死神でいなければ、崩壊してしまうほどに、弱いのだ。 弱さを持っていてこその、人間。 「愛した人を守れなかった。その疵は、決して消えない。でも、それがあなたなの。どんなに辛くても、どんなに醜くても、それがあなたの一部よ」 身の内に、飼うモノ。 「皆、そうだわ。わたしだって、ジョーやジェット、大人、グレート……。ジェロニモ、ピュンマ、イワンにギルモア博士。皆、此処に」 胸元を指差し、少女が俯く。 さらりと、金色の髪の毛がその胸元に流れた。 「色々なものを持っているのよ。弱さも醜さも。罪も……」 忘れたいと、願った。 それでも、捨てることは出来ないのだ。 「わたしは、わたし。この弱さや醜さがなければ、わたしじゃないわ。あなたも同じよ、ハインリヒ。愛した人の思い出や、彼女を守れなかった悲しさ、後悔。それを全て持っていなければ、あなたはあなたじゃないわ。わたしの……」 言葉を切って、はにかんだような顔をする。 「まぁ、とにかく! なんだか話が重たくなっちゃったけど!」 ぱしん、と両手を打ちならし、少女は明るく、大輪の花のように笑った。 「笑っていましょうよ、ハインリヒ。そっちのほうが、似合うわ」 この、しなやかな強さは一体、どんなものなのだろう。 長く、長く彼女の傍に居るけれども、いっかなわかるようにならない。どんなに惨い戦いの中でも、どんなに深い絶望の中でも、決して、この少女は笑みを忘れなかった。自身が傷ついても尚、それを押し隠して笑ってくれた。 嫌悪に陥った自分を、仲間を。 そっと、包むように、抱き締めるように、笑うのだ。 傍に居てくれる。 帰る場所がある。 後方に、背後に、この人が居る。 そう実感することで、きっと実力以上に強くなれた。 見守っていてくれる、帰りを待っていてくれる。そう考えることで、死んでたまるものかと強く思った。 「……君には、感謝しなけりゃならないな」 ぽつりと、そう言うと、訝しそうに少女が首を傾げる。 「感謝?」 「ああ。君には助けられてばかりだ」 きっと、自分以外の者たちも、この鮮やかな少女には深い謝意を抱いているだろう。見守る目があるからこそ戦えたのだと、それをわかっているに違いないから。 「感謝するなら、こっちのほうね。あなたたちには守られてばかりだったから」 知らぬは、当の本人ばかり。 どれだけ、彼女の存在が仲間を救ってきたものか、まるで理解していない。 恐ろしいほどに鋭いくせに、妙なところで鈍いことだ、と呆れてしまう。 「まったく……。君はどうにも、アンバランスだな」 「あら、ひどい」 「感謝している。本当に……」 傍に居てくれて。 見守っていてくれて。 ありがとうと。 「君が居てくれなければ、おれは壊れていたよ」 「ハインリヒ……」 「ありがとう。君と出逢えて、よかった」 照れたように、彼女の顔が赤くなる。そして、目線のやり場に困ったのか、青年から顔を逸らして、再び窓の外に目を向ける。 その姿を、微笑ましく思いながら見つめ、様々に考えを巡らせる。 始まりは、決して幸せなものではなかった。 絶望の中、全てが敵だと思い、目の前に現れた彼女を憎みさえしたこともある。 この暗い中に在って、何故そこまで綺麗でいられるのかと、妬んだこともある。 それでも、そんな暗い思いの全てを受け止め、少女は優しく微笑んでくれた。戦闘に向いた強さは持たなくとも、彼女はその実、誰よりもしなやかで強いのだ。 この、強さと美しさに、惚れるなというほうがムリだ。 恋愛感情なのか否か、判別出来ないところが何ともし難い。 ただ。 ふわりと陽だまりのような笑顔を見せてくれる少女を、何よりも大切に思うことだけは確かだ。この世の何と引き替えても、彼女の傍に居たいと思う。 かつて、愛した人。 その恋を、忘れることは出来ないけれど。 ……忘れなくとも、始めることは出来る。 君を忘れない。 あの恋は、何より素敵で、何より幸せなものだった。 だけれど。 …見つけたんだよ、ヒルダ……。 幸せを、再び感じさせてくれる人を。冷え切った心に、再びぬくもりを与えてくれた人を。 雪は今でも苦手だ。 冬は今でも苦手だ。 愛した君が、居ないことを想起させる。幾年経っても、この切なさは消えないだろう。 それでも、その哀しさや疵を知ったうえで、こうして真っ直ぐに自分を見つめてくれる人が居る。忘れることなどしなくていい、そのままで居ればいいと、言ってくれるこの人を、とても愛しく思うのだ。 忘れない。 あの恋は、絶対に忘れられない。 ただ、それでも。 忘れることをしなくとも。 ――始めることは、出来るのよ。新しい何かを、あなたは見つけることが出来るのよ。 それは、腕の中で息を引き取った彼女の言葉。 ――忘れないで、アルベルト。でも……引きずらないで。 ――わたしを覚えていて。でも、あなたは見つけることが出来る筈。 ――思い出を、全てを、受け容れてくれる人との、新しい幸せを。 どうか。 どうか。 ――……幸せに。わたしの分まで、幸せになって。 その幸せを、今になって見つけたような気がする。それはきっと、窓の外をを見ている、あの鮮やかな少女の姿をしているのだ。 …君を忘れないよ、ヒルダ。 …けれど、見つけたんだ。 …傍に居たいと、思える人を。 あっ、と少女が声をあげた。 「帰ってきたわ、あの人たち」 「雪塗れだろうな」 「そうね。暖かい飲み物を用意しておかなきゃ、可哀相かな」 ぱたぱたと、軽い足音をたてて少女がキッチンのほうへ向かう。その背に向かって、思わず訊ねた。 「フランソワーズ……君は、何を言いかけたんだ?」 足を止めて、訝しそうに少女が振り返った。 「あなたはあなたじゃない。わたしの、の次だ。言いかけてやめたろう?」 「……その、罠みたいな記憶力が、偶に憎らしくなるわ、ハインリヒ」 「そりゃどうも。だがね、あんなところで止められちゃ、気になるだろう」 白皙の肌が、仄かに色付く。それはとても初々しい様子であるのに、艶めいていた。 「……―――ょ!」 「え?」 「わたしの、好きに、なった人!」 半ば自棄のように言い捨てて、今度こそ彼女はキッチンに消える。 言われたことを反芻し、口元に笑みが浮かぶのを押さえられなかった。 「ああ、おれもだよ。君が、好きだ」 ぽつりと呟いたとき、玄関が乱暴に開く音と、賑やかな声がふたつ。 「何と、散文的でありふれた幸せなんだろうな……」 それをこそ、大切なあなたと過ごしたい。 「そう。君が、好きだよ……」 |
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