本日も何事も無し
「我が輩が推測するに、だな」 英国仕立てのティーカップを前に、グレートは人差し指をついっと突き立てた。 「クロウディアがピアノを練習するのには、何らかの理由があると思うのだがね」 ひやかしか、それとも大真面目なのか、という訳の分からない表情で、しかも唐突に話を始めたグレートに、 正面に座る周はゆっくりと顔を上げる。しかし、現在進行中の作業は、止まる気配がない。 ぽかぽかに陽の当たるリビングで、イングリッシュマフィンを囲んでのアフタヌーン・ティ。向かい合うは自称 英国紳士と、膝にイワンを乗っけて優雅に編み物をする、自称三十二歳の、女。何とも珍しい組み合わせだが、 それを遮る人間は誰一人、いない。 いるとすれば……いや、あるとすれば、今し方話題に上がりかけている、二階からの歪な不協和音ぐらいな もの、か。 「じゃ、その『理由』は何なのかしらね」 私にも分からない、と、周は空返事のように呟くが、やはり手元は作業続行。 目の前で何やらもぞもぞされているものだから、膝の上のイワンは意味無く楽しそうにはしゃいでいては…… 時折、周の邪魔をしているようにも、見えた。 出来上がりつつあるのは─────何だろう、小さな……靴下? それをまじまじと見つめながら、グレートは微妙に眉の端を上げる。 「──────未来のお子さんに、かね?」 「ちょーっと思考能力を検査して貰った方がいいと思うなぁ? グレート」 率直な質問に跳ね返ってきたのは、絶対零度の微笑み。 ポロン…と、またしても聞こえてくる、辿々しい音楽が、微妙な沈黙の広がったリビングに波紋を広げた……よう な気がした。 そんな時。 『ボクのだよ。ね? 周♪』 急遽、嬉しそうにはしゃいでいたイワンが、一瞬つぶらな瞳を光らせて、所有権を主張。 卵色の毛糸にじゃれつきながらも、自分の物だ、ということをしっかり言ってのけるところはさすがと 言うべきか。 「ちょっとイワン、引っ張らないで。編みの目が飛ぶじゃない」 『だって面白いし』 「飛んだらやり直しなんだから」 『それはマズイな。完成が遅れちゃう』 ……何とまぁ、微笑ましい親子像だことで。 グレートはティーカップに手を伸ばして、少しぬるくなった紅茶を啜る。 「で、ご息女のお稽古のことなんだがな」 「あ、そうだった」 じゃれつくイワンを何とか静め、周は作業を再開。 「理由って、あるのかしらね。単にあの男の影響、じゃない?」 「それにしても、あの真剣さは異常だと思わないかね?」 「結構、猪突猛進なトコあんのよ、あの子」 ひと目、またひと目と……編み込むスピードが急激に上がっていく。 「しかし、影響を受けるなら、もっと別の人間にして欲しかったわ」 『一理あるね』 「でしょ? ピアノが悪いとは言わないけど、教えるのがあの男じゃ、ねぇ?」 『毎度のように、父娘ゲンカが勃発してるし』 「ホントホント。ま、止めやしないけど」 ……仮にも一応、『父親』らしいことをしたいんじゃないか、と、我が輩は思うのだがね、周… ま、焼け石に水、か───────…… 「良い匂いだね」 嬉しそうな声と共に、リビングのドアがゆっくりと開いた。 顔を覗かせたのは、図書館から帰ってきた、ピュンマ。 「お帰り、8番目。グレート持参のイングリッシュマフィンがあるのよ。それと本場の英国紅茶」 「へぇ。いいね」 本格的なアフタヌーン・ティだ、と、ピュンマは荷物を降ろして、グレートの隣に腰掛けた。 漂う、リーフティの香り。 香ばしいイングリッシュマフィンの、仄かな甘さ。 「美味しいね、これ」 「そうだろうとも! これは由緒正しき…」 「…スーパーの?」 「失敬な! 英国直営店のものだっ!」 『周、ひと口♪』 「細かくしてあげるから、よく噛んで飲み込むのよ?」 午後の日溜まりに広がる、ゆったりとした、空気───────… 「紅茶のお代わり、煎れてきましょうか?」 「あ、僕がやるよ」 「いいねぇ。しかし我が輩は、煎れ方には煩いですぜ?」 片目をつぶるグレートへ、お手柔らかに、と苦笑した、ピュンマ。 だが、その時。 『あ』 未だにじゃれついていたイワンの手元、から。 ころんっと……毛糸玉が滑り落ちた。 その途端。 それに足を取られ、ピュンマが横転。 そしてその手に抱えられていた高級品らしきティーポットが、彼と共に、床へ落下。 更に踏んづけられた毛糸玉は、編みかけの靴下を勢いよく解きながら……どこまでもどこまでも転がって、いった… 「ぎゃあぁぁぁぁ!! 我が輩のお気に入りがぁぁぁぁ!!!」 「あーっ! もう少しで完成だったのにっ!」 「………痛い……」 三者三様、色とりどりの奇声が、まったりとしていたリビングに響き渡った。 『……わざとじゃない、って言って……信じてもらえるかな…?』 危機を感じたイワンは、既に周の膝から脱出体勢。 が、それを彼女が見逃すはず、ない。 がしっと羽交い締めにされ、テレポートすら出来ない状態にされたイワンは、身体を震わせて周を見上げた。 にこっと。 周囲で阿鼻叫喚している二人には目もくれず、絶対零度の魔女は、これ以上はないと言うほどの冷笑を 腕の中の赤ん坊に、向ける。 「ところで…」 お気に入り破損で固まった、グレート。 モロに床で頭を打って、立ち直れない、ピュンマ。 その二人と、硬直した赤ん坊に向けられた周の言葉は…… 「我が姫についての議題は、どうなったのかな?」 ……現在の状況と一致している、とは…とても言い難かった。 |
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