治験薬












日が暮れる、には 余りにも早過ぎる時間であるのに。其処だけが薄暗く静まり返り。
寂びれた感のある街外れの小さな病院、の診察室で男は神妙な面持ちで医師と話をしていた。

遣い込んだ銀縁眼鏡の淵に手を当て、手元のカルテから眼前の彼へ視線を移す。



「肝炎がかなり悪化してきています。そろそろ入院治療をしなくてはなりませんね」
「───‥入院、ですか‥‥」



男は無言で俯く。
脳裏をよぎるのは医者の忠告を訊いておけばよかった、と云う『後悔』と、呆れ顔をするであろう『家族』のこと。




「そこでご相談なんですが」
「‥‥‥?」
「実は‥───私達とある製薬会社の共同開発で画期的な薬が出来たんです。治験薬、なんですけどね」
「治験薬?」
「所謂『医薬品』が一般に出廻る前───認可直前の薬のことです。近年稀に見る効能と自負しています。きっと
ご満足戴けるかと。───‥どうでしょう、試して貰えませんか?」
「そんな薬が───‥でも、どれ位掛かるんでしょう。期間、とか‥費用、とか」
「あぁ、その点はご心配なく」


医師は片手でカルテを閉じ、眼鏡を丁寧な仕草で胸ポケットに滑り込ませる。


「と、云いますと?」

「勿論、薬代・入院費等はこちらで全て負担させて戴きますし、御礼のほうも多少ですが用意させて戴きます。
こちらとしてはデータが戴ける訳ですし、そこは『ギブアンドテイク』ということで。どうでしょう。1週間程で完治する筈なんです」
「完治、するんですね‥‥是非お願いします!」















「先日お話し致しました通り、本日より投薬に入ります。このカプセルを1日3回、食後30分以内にコップ一杯の水で
服用して下さい。カプセルに抵抗のある方はお申し出下さい。相談に応じます。御用の際はこちらのコールボタンを押して下さい」


先達ての医師とは違う、女医が患者一人一人に日付と服用時間が書き込んである薬袋を手渡してゆく。
簡易ベッド、と呼んで差し支えないよう、な質素なそれが並んだ病室、で『患者』の傍らのスツールに腰を下ろしている。


「念のために申し上げますが、投薬中は禁酒禁煙禁外出です。食事時間さえ守って戴ければ他は自由で結構です」


必要最低限の注意事項だけを促し、医師と女医は顔を見合わせ、伴って病室を後にした。





バタン





拒絶するような軋んだ音を立て、くすんだ色の扉が閉まる。残されたのは患者と云う名の被験者。



ガウンを羽織った若い女
中間管理職風の初老の男
柔和な印象の禿げ頭の老人

    ────以上の3名である。








「あなた方、も‥───?」


まず口を開いたのは、禿げ頭の老人。


「えぇまぁ───‥。結構長いことやってますね」


相槌を打つのは初老の男。老人ほど歳を取ってはいないが何処か疲れた印象を与える。


「お互い、大変ですねぇ」

「あ〜っ、やーだやだっ!!禁酒禁煙、なんて何年ぶり?」
「たまにはいいんじゃないですか?」
「まぁね───‥元々、不摂生が原因みたいなもんだし。丁度良い休暇ってトコね」



若い女はガウンの下の、短パンから伸びた脚を惜しげもなく晒し、組み替える。ブルーのガウンの裾を大腿付近で
合わせ軽く肘を付き、履いているスリッパを退屈そうにブラブラと玩(もてあそ)ぶ。
綺麗にウェーヴした髪や整えられた爪先は『入院』よりも『バカンス(休暇)』が似合う。


「お二方ともお若いのにご苦労なさってるんですなぁ」


しみじみ、と語る老人に初老の男と若い女は顔を見合わせ、苦笑する。



────若いから苦労するんだと思いますけど



とは、初老の男性の弁である。








「あの‥‥」


不意に老人が切り出す。


「‥息苦しい感じがしませんか‥?躯(からだ)も、だるいような───‥薬、のせいでしょうか」

「そう?私は別に。アンタは?」
「いえ、何ともありませんが‥‥。医師(せんせい)を呼んできましょうか?」
「ぁ、呼ぶなら男の医師(せんせい)にしない?あの女の医師(せんせい)、何かヤな感じなんだよね。無駄に偉そうでさ」




────結果。
老人は躯(からだ)の異常を訴え続けた為、別室へと隔離されたのである。




















「本当に退院、なんですか?」



薄明るい光しか差し込まない、ほの暗い病室に似つかわしくない明るい表情(かお)。
年輪を刻んだそれ、が 嬉しそうに目を細める。


「えぇ、あとは1〜2ヵ月に1回の通院でいい、と 先程云って戴きまして」
「1〜2ヶ月に1回!?楽勝じゃない!」
「えぇ、3日に1回の通院を彼此(かれこれ)10年以上ですから‥‥。長生きはしてみるモン、ですな」
「何を仰います。人生これからですよ」

「───‥そう、ですかねぇ」


半信半疑ながらも決して否定的な言葉を口にせず。


「じゃぁお先に失礼させて貰います。お二方の回復を───‥そうだ!皆退院した暁には是非呑みに行きましょう」


足取り軽く、意気揚々と老人は退院していった‥──────。















退院した老人のカルテを見ながら、診療室で2人の医師は語る。

「まさかこんな結果になるとはなぁ‥‥」

医師は天を仰ぎ、小さな溜息を付く。

「そう、ですね。あれが一番早く効き目が出るとは思いませんでした」

呼応するような、女医の声。



「俺もだよ。さて、あとの2人はどうなるだろうかねぇ」
「成分も強度も違いますし、想像がつきませんね」
「‥あとの2人はどうしてる?」

「え?‥‥あぁ、先程個室に移しました」
「製薬会社への連絡は?」
「既に終了しています」

「そう、か‥‥」
「‥‥‥‥‥‥」


「どうかした、のか?」


「───‥いいえ、別に」















カチッ カチッ───‥


無機的な時計の音だけが木霊す、ひっそりと奥まった場所にある個室で。
医師と女医は冷静な目でベッドの上に横たわる女を見つめている。
女の躯(からだ)は、とうに温もりを失くし、只の物体と成り果てていた──────‥。


「こちらの薬は駄目だったか‥‥実は俺のイチオシだったんだが」
「あら、そうだったんですか?わたしは最後の方の飲んだものが一番効果的かと‥‥」
「各々が別個の治験薬を飲んでいるからな‥‥仕方ない。理論上と実際での効能は違うのは、世の常だよ」

「確かにそうですが、それにしたって‥‥」


女医が非難めいた視線を投げ掛ける。


「何を考えているのか知らないが。俺達の役割はあくまで『被験者の提供』。他の事は連中に任せればいい」

そんな視線を諸共せず、医師は口角だけを引き上げて笑みを造る。



「共同開発、なのに?」
「名前だけは───な」



「連中は‥───製薬会社の奴等は、より多くの『被験者』を。俺達は資金と『共同開発者』の肩書きを。これこそ
正にギブアンドテイク。理想的な取引、だろ?」
「‥えぇ」
「だよな?」

短く応答し、女医は踵を返す。









「本当、に‥───名前、だけ」



微かに漏れた呟きが医者の耳に届くことはなかった。




















「一昨日、あの女の人、見掛けなかったが‥‥退院、したんですか」

男は傍らに佇む医師2人に訊うてみるも、答えが返ってくること無く。

「はい、これが本日分の薬です」
「ぁ、はい」

カプセルと同時に差し出された、水の入ったグラスを女医から受け取る。暫し、眺めた後‥───飲み干す。
ごくり、と喉を鳴らしてグラスを空にし、溜息を付いた。


「‥実はここの処───‥これを飲んだ後、躯(からだ)が重いというか‥‥息苦しいような気がするんですが」

「息苦しい感じ、ですか?」
「えぇ」
「ん〜‥‥」


医師は顎に手を当て、暫し天井を見つめる。その表情を女医は横目で見やると男に向き直った。

「治癒間近、なのでは?‥ほら!最初に退院された年配の方も同じようなこと、云ってましたし」

女医の言葉に、男は強張っていた表情を和らげ



「そう云われてみれば‥‥。そうか、良くなっているのかぁ‥」

へへっ、と 眉を八の字に寄せて困ったように微笑う。

「実はね、退院したら呑みに行こうって約束したんですよ‥‥実現する、かもしれないなぁ‥」


「呑むのは結構ですが───‥程々に、ね」

「判ってま、‥────?」


刹那、男の表情(かお)が強張って。


「───‥どうしました?」

「何か‥躯(からだ)が、ますます 重くなってき、‥‥先、せっ──‥」


空のグラスが手をすり抜け、男の脚を象る布団の上に音も無く落下する。




「良くなっ‥ 証、こ‥‥‥──‥ぅ、あああ、あ、ぁ、ぁ‥────」




グラスの軌跡を追うように、手が降りてゆき────‥その鼓動を止め、項垂れた顔から唾液とも涙ともつかぬ透明な
液体が一滴流れ落ちた。医師は無言でそれを見つめ、女医は脈を取り、カルテに書き込む。



「この間の症状、とも また違いますね」

「あぁ──‥いいんじゃないか?どうせ連中の考えることだからさ」



















お疲れ様、という科白と共に湯気の立つ湯呑みが女医の前に差し出される。
休憩室なのか資料室なのか判らぬ、雑多な部屋の中、辛うじて人が居られるであろう空間(スペース)は折りたたみ テーブルの一角のみ、という辺りが更に狭さを感じさせる要因となっている。



「あら、珍しい。あなたがお茶をいれて下さる、なんて」

「たまには、ね」
「じゃ、珍しいモノを見せて貰った御礼にお茶菓子でも如何?」

女医は口許を微かに綻ばせ、立ち上がる。 入れ替わる様に、医者は傍らのパイプ椅子を引き寄せ、女医が掛けていた椅子の対面を陣取る。
手渡したそれ、より背高の湯呑みを両手で包み込み、ずずっ と音を立てて啜る。


「どうぞ」


コトリ

2人の目の前に置かれた小皿には小振りの栗鹿の子。


「日本茶に丁度良かったわね」

「‥そっちこそ『珍しい』んじゃないか?俺相手に───‥ん、美味い」
「珍しく『気を遣う』って意味?‥‥お互い様、でしょ?」
「嫌われてるような気がしていたからな」
「私が?あなた、を?‥───まさか」
「それなら、いい‥」


「嫌う、どころか莫迦にしてるわ」


「───ぇ?」




「仕事も患者への対応も何も出来ないクセして名誉欲だけは人一倍───‥最低、ね」


「なっ‥───」


立ち上がった途端、医師の躯(からだ)は糸が切れたように床に崩れ落ち。



「───‥ぉ、お前‥‥!?」



言葉を紡ぎ出そうにも呂律は廻らず、呼吸すら困難、で。




「嫌われている、と感じる人間から出された物、を無闇矢鱈に口にしないことね」

「───‥ぅ‥──ぁ、あ‥!!」


医師は喉に指を絡め、口を動かす、が 反論の機会を逸してしまった───‥永遠、に。



「莫迦は死んでも治らない、と云うけれど‥───」



女医は、既に骸(むくろ)と成った、医師であったモノ、を一瞥すると 綺麗な笑みを浮かべ、お茶で喉を潤す。


「ご心配なく。製薬会社への報告書(レポート)は私だけの名前で提出して、ある‥から───‥」





ガタンッ


「‥なっ‥───」



────先程見た光景のよう、に

女医もまた、躯(からだ)を床に投げ出し、喉に指を絡め、苦しげに喘ぐ。












「‥やって くれる───‥じゃ、な‥‥ぃ ‥───?」












喉から溢れる血
不吉な程に鮮明な、その紅(あか)は

黄昏時の夕日にも似た──────‥





















彼等が最期に目にしたのは



憎んで已まぬ 互いの表情(かお)─────
















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