横顔
「博士ぇー」
叫んでダイレクトに開けた、書斎のドア。
だが窓際にある机には、いつもの老博士の背中ではなく、ひどく華奢な背が、あった。
「ギルモアなら、コズミと電話中。っつーかノックぐらいしたらどうなの」
その華奢な背が、ぴくりとも振り向かず投げてきた低い声。
ドアノブを持ったまま、ジェットは厭そうに華奢な背───周を見つめた。
「テメーこそ、なに不法侵入してんだよ」
「失礼極まりない言い方に磨きがかかったわね、バカ陽気」
ふんっと鼻を鳴らして、周は煙草の煙を吐く。しかし、相変わらず…ちらりとも振り向かない。
「私はこの部屋に客として来たのよ。その最中に電話。それって不法侵入?」
「…悪ぃ」
つーか、会話するときぐらい振り向け、『狂星』…てめぇこそ失礼極まりねぇぞ…
バリバリと頭をかいて思ってみたが、触らぬ神に祟りなし。
いや、『触らぬ狂星にサシなし』、か。
息をついてジェットが部屋を出ようとすると…相変わらず振り向かない周の側にたくさん積み重ねられたファイルに目が留まった。
そっと背後から忍び寄って、それらをのぞき込む。
が。
覗き込んだ途端、ジェットは打たれたように止まった。
たくさんの、分厚いファイル。
しかしそれは、きっちり、何かと同じ数、ある。
そう九冊────オレたち個人データ、だ。
「何、見てんだよ──」
絞り出した声音は、苦渋の混じった、もの。
思い出す、過去。
繰り替えし続けられた、改造。
実験。
戦闘試験。
副作用。
ねっとりとした空気の、密林──────
忘れたい、忘れたい。
でも。
決して忘れる事なんて、できない…
真横からの押し殺した声に、周はゆるりと顔を上げて煙草を灰皿に押しつけた。
「見ての通り」
平淡な、そして心なしか冷たい、その声。
「いつ何があるか分からない。だから、少しでも把握しておこうかなと思ってね」
遺伝子工学博士。
同じ「工学」という単語が付いても、ギルモアとは違う。
厳しい鈍色を湛えたその横顔、は。
『科学者』の顔、だ─────
「『いつ何があるか』って、何だよ…」
ジェットは、持って行き場のない不可解な怒りに、拳を握りしめる。
何で、そんな事、言うんだよ。
何で、そんな表情するんだよ。
「何なんだよ…!」
叫んで。
周の手元から払いのけた、ファイル。
反動で積まれていた同じ厚さの八冊が─────音を立てて、机から滑り落ちた。
そこで初めて、周はジェットを見上げる。
「────家庭内暴力?」
細められた、鋭い、鈍色の瞳。
「珍しい…何をダークになってるんだか」
散らばったファイルもそのままに、周はゆっくりと言葉を紡いだ。
まるで、子供に言い聞かせる、その口調。
ますます、ジェットの苛立ちが、募る。
「おめぇが…そんなことする必要なんてねぇじゃんか…!」
もう科学者の顔を、する必要なんて。
お前こそ忘れたいって、言ってたじゃねーかよ…!
「じゃ、聴くけど」
帰ってきた、相変わらず冷静な、声。
「あんた────ギルモアが倒れたら…どうするつもり?」
それは。
的確な質問、だと言えるかも知れない。
ジェットの中で不意に、ドクンと何かが、震えた。
いくら周の方がギルモアより年上だと言っても、その体質のせいで、老いにはかなりの差が、ある。
博士が逝ってしまったら。
その時…
俺たちは────
「不愉快な発言だとは思うけど、現実」
トーンの変わらない、周の声音。
「たまには現実(それ)を考えなきゃいけないときも、ある」
そうして。
未来を、生きていくために─────
この身体で。
貪欲にでも。
図々しいと言われても。
蔑まれても。
人間と呼ばれなくても。
生きていく権利が、あるから─────
「……ごめん」
俯いた、ジェットは。
「ごめん、周…」
コツン、と。
周の肩に、額を付けた。
痩せた…細い、その肩に。
ジェットは何故か、涙が込み上げてきそうに、なった。
オレたちの事を考えてくれるのは、本当に、嬉しい。
だけど。
科学者の表情(あんな顔)をさせるぐらいなら。
メンテなんぞ、いらない、と。勝手にくたばってしまった方が良いと思ってしまったのは。
オレの一歩的な我が儘、だろうか…
「ちょっと、痛い」
不意に。
厭そうな周の声が、ジェットの思考を遮った。
「あ?」
「鼻が当たる。トサカ髪も肌に刺さる。しかも頭重い」
無遠慮に投げかけられた言葉に、ジェットはがばりと身体を起こした。
一気に今までの感情が吹き飛んでしまったジェットは、わなわなと手を震わせて、周を見下ろす。
「んだよ! 人がせっかく……!」
「そーね。ありがと」
怒鳴りかけた言葉は、周のかるーい言葉に遮られた。
それにまた腹を立て、息を吸い込んで大声を張り上げようとしたとき…
「いいのよ、ジェット」
クスリ、と。
周の微かな笑みが、ジェットの動きを止めた。
「お子様が心配しなくて、いいの」
まるで。
母親のような、その表情。
そんな表情は。
先ほどまでの冷たい科学者の雰囲気を…一切、拭っている。
「ちぇっ! やっぱ『お子様』かよ」
「それ以外に、何があんの」
…やっぱ、一枚上手。
拗ねた顔をしたジェットは、すいっと顔を背けて、周に背を向けた。
「ほら。そろそろおやつの時間じゃないの?」
「あんましバカにすんなよ!」
「そう言いながら、いつも一番におやつの席に着くくせに」
「……お前、嫌いだ」
「あら、有り難う」
ジェットのぼやきなど微塵も気に掛けていない様子の周は、床に滑り落ちたファイルを一つ一つ拾っていった。
手伝いもせず、鼻を鳴らして書斎を出たジェットは…ゆっくりとドアにもたれかかる。
未来(このさき)を生きていくために。
考えなければならない、現実────
ああ、そうだよ。
確かにその通りだ、周。
でもよ。
あんな横顔を、表情を見るぐらいなら。
そんな顔をお前に、博士にさせるぐらいなら。
オレは。
『その時』になったら…
潔く、消えていきたいと…本気で思ったよ─────
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Jui様から戴きました。キリリク連続踏み第1弾「凛樹館」5200hit
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