彼 女 |
忘れられない 部署は違うが同じフロア、恐らく自分と同世代。 ────綺麗な 採用者の好みが一目で判る、世間で云う処の『可愛い系』が多い部署の中、彼女は『綺麗』の部類に属し、 少し───…否、かなり目立つ存在。 柔らかにウェーブした髪。 不満など云うのを聞いたことの無い、明るい、声。輪の中心に、厭味なく自然に居られる、 世の中は不公平の塊だ。 本当に生物学的分類上、 月とスッポン 天と地ほど、の 見目麗しく、其れに遜色ない 所謂『嫉妬心』やら『対抗心』など持とうとすら思えない 勝負にならない。 同じ土俵にすら───…立てない。 『理想の女性』とは、彼女のような人間のことを云うのだ、きっと。 わたしは手にしていた文庫本に視線を落とした。 会社の制服が廃止されて約1年。 普段はパンツかロングスカート。膝丈スカートを穿いただけで女装しているような気がして酷く気恥ずかしく 感じ、顔を上げて歩けない。 なのに、手にしているのはハーレクインロマンス。 矛盾している、と思う。其れは自分でも判っている。 初めて手にした中学時代、就職した現在に至るまで、機会があれば読んでいる。 単なる習慣なのか、夢を観ているのか。 夢を観ていたい、のか───… 童話のような 寓話のような 『いつか誰かが必ず見つけ出してくれる』 ご都合主義な、 気になる 彼女の『彼』───… 陽だまりのような明るい笑顔の第一印象。仕事が出来て穏やかで。当然、他の女子社員からの人気も高い。 そんな人間を当然周りが放っておく筈も無く。独り、であろう筈が無い。 彼然り彼女然り。 3ヶ月程前から付き合っているらしい、と彼女と同じ部署の女の子から訊いた。 彼と出逢ってから僅か数週間後のことだ。 ああ、そうだったんだ、と、ぼんやり考えて。一瞬のときめきは儚く潰え、刹那く終えた。 痛むヒマすら無かった、心。 社内恋愛ってパワー要るよね、と、トイレで鉢合わせた、同期の女の子が手櫛で髪を整えながら笑う。 その彼女の『彼』は、会社も違えば勤務形態も正反対、月に数回逢えればいいほうらしい。 1日の大半、しかも1年の大半…───つまり人生の大半を過ごす『会社』と云う名の小箱の中、数時間なら まだしも、人生の大半を一緒に居るという事は其れだけ本性を見られる機会が多いと云う事。取り繕った処で 所詮は付け焼刃、必ず破綻、崩壊する。 人間の気力・集中力等と云ったものは己自身が過信する程、長くは持たないモノ、なのだ。 其んな至極単純な 容赦ない現実を踏まえた上で、自分以外、の───…誰か、を想う。 仕事時なんぞと比べ物に為らない、無尽蔵なパワー、と、許容量、が必要だ。 たまに、時間が有れば逢う位が気楽でいいな、と彼女は笑う。 わたしも、そう思った。 2人は、向かい合わせた席、に居た。 彼女と彼の結婚が決まった、と云う話を耳にしたのは、其れから暫くしての事だ。 彼の幸せオーラ全開の笑顔、は、 既に 当然、彼女もそうなのだろう、と考えていたし、事実、耳にする噂話も其れを裏付けるものばかり。 そんな中、手渡された、透かしが入った豪奢な封書。端に刻まれた、誰もが高級に分類する、ホテル名。 披露宴の招待状。 何処をどう解釈しても、勘違いで無く、立派な 其の日。 招待状を受け取った、わたしを含めた数名で、彼女とランチを一緒にすることになった。 職権行使して獲得した応接室の革張りソファは、 式しないって云ってなかった?と行き成り核心を突くのは、一番年長の、やっぱり『可愛い』先輩、で。 「……仕方無い、から」 微かに 微かに 囁くように呟かれた科白、は、わたし達の言葉を奪うには充分だった。 思いがけず重たくなった空気の中、当たり障りの無い会話を交わすうちに、休憩終了15分前。 ぱらぱらと移動をし始め、最期に残ったのは、彼女とわたしだった。 「電気、消しますね」 わたしはスイッチに手を掛け、ドアの前で彼女を待つ。彼女がすいっと歩み寄り、わたしの真横に立った。 「好きなの?ハーレクイン」 「……ぇ?」 大きな瞳、に見下ろされる。10センチ近くの身長差ゆえの不可抗力。ウェーブ掛かった柔らかな髪、が 刹那、わたしの視界を掠めた。 「読んでるよね…たまに」 「昔、の、───何となく、捨てられなく、て」 言い訳めいた 頬が熱くなり、じわじわ、と、云いようの無い、うしろめたい羞恥が込み上げる。 「うん…無性に読みたくなる時が有るよね…判るよ」 え?と、思わず顔を上げてしまった処で、彼女とマトモに瞳が合った。 綺麗な、顔。 こんな至近距離は初めてだ。初めて逢った時と変わらぬ─────… 「少し…痩せ、ま、した?」 え?と云う 大きな瞳を更に大きく見開き、ほけぇ、と口も開けたまま、わたしを見る。 わたしを見ている わたし、を───… 見るのは何時だって…───わたしの役回りの筈、なのに 「やっぱり…凄いね」 意味不明な まろやかなラインの頬をなぞるように伝う淡水が、小振りの耳朶を飾る、結納返しの品、と聞かされた、 コンクパールの傍を通り、鮮やかな軌跡を描いてゆく。酷く浮世離れした感の有る、眼前の光景、は ───…まるで わたし、が 彼 女、が 未だ捨てられぬ 監禁されるとは思わなかった、と彼女は口許を手で覆いつつ、無邪気に微笑う。 わたしは出た筈の応接室に彼女を引き戻し、扉を閉め、文字通り「監禁」した。時間にして約5秒。 そうして自分は扉の外、壁にもたれてぼんやりと足許を見ていた。 あの意図せず頬を滑り落ちた涙を止めたくなかった───… 閉じてしまえば、其処は 誰にも気付かれずに済む、から───… なのに、わたしはドアを勢い良く開けた彼女に腕を掴まれ、有無を云わさず『彼女の空間にした筈の場処』に 引き摺り込まれたのだ。 「こっちだって拉致られたのは初めて、ですよ」 「じゃ、お互い様、ってことで」 くすくす、と彼女が微笑う。 見慣れた其れに安堵して、今度こそは、とばかりに、そそくさと部屋から出て、扉を閉めた。 かちり、と鍵が掛かる音を確認し、わたし達はエレヴェーターへ向かって静まり返った、廊下を見遣る。 2人分の足音だけが響き、冷えた空気が纏わり付き過ぎて、鳥肌が立った。 中々来ないエレヴェーターを待ちながら、彼女はお弁当の空箱が入ったコンビニ袋の口を縛る。 「駄目だったなぁ…やっぱ」 視線を手許から、わたしへ、と移す。そして───────… 「最後まで勝てなかった」 「ぇ…?」 彼女の視線は、確かに『わたし』に向けられて、いて。 明日は不燃物ゴミの日だっけ、と考えて。未だ寝ていたいんですけど、なんて真剣に感じて。 随分ご都合主義な夢だな、なんて、ぼんやりと思った。 現実逃避しているわたし、に気付いたのか、彼女はわたしから僅かに瞳を逸らし、呟いた。 「あなただけよ…───気付いたの」 顔に浮かぶ微笑は、華やいだもの、でも、無邪気、でも無く─────… 「何時も、そう…─── あの時と同じ 彼女と彼の結婚が決まった、と、周囲に報告している、幸せオーラ全開の彼の隣に寄り添っていた、あの 彼の笑顔の影で、ひっそりと、普段と同じ微笑の筈、が。 わたしには…───悲鳴、に、視えた。 でも周りの、親しい筈の人間が何も云わない、から。 きっと気のせいなのだ、と。 顔見知りなだけで、親しくはないから、と。 無意識下に放り込んだ、 事実、彼女と 一方的、に、見知っただけ、の、関係。 「何時、も…?」 わたしの問いかけに彼女は頷く。 一般職と特殊職。 自らの席を基準に動く、彼女 固定の席を持たず、必要に応じフロア内を渡り歩く、わたし。 勤務時間も休日も、休憩時間さえバラバラ。共通箇所など1つも無い。 業務上で絡む ───顔を会わせる、のは。 トイレで鉢合わせする 15分だけ重なる勤務時間。 話、を───…した、のは、憶えている。 でも内容を記憶していない辺り、他愛ない世間話だったのだと、思う。 遠くから見ている 「痩せた事実に気付いても…理由、訊かない、でしょ?自分から…云い出す、迄」 ───気付かない振りをして… 「口下手、なんですよ…単に」 「違う…訊いて欲しくない事を訊かないの」 だから敵わないんだ、と、彼女が反論する。 訊かない、のは、簡単に訊ける程、親しくない、から───────… ああ、そうか───… 「適度に離れているから、ですよ…きっと」 一緒に…傍に居なければ判らない事が有る、よう、に。離れなければ判らない事も有る、のだ…きっと。 何時か、同期の女の子が云っていたように。 『距離』が在る、から。 距離が、無尽蔵のパワーになるのだ。 僅かな逢瀬の中、相手を見喪わぬよう、に。僅かな変化も見逃さぬよう、に。 次に逢える保障、なんて、何処にも無いから。 ───不可思議な、 そういう処だよ、と、彼女は笑う。 始業開始5分前の学校のチャイムに酷似した音が流れる。わたし達はエレヴェーターを見限り、駆け足で階段を 自分達のフロアまで降りてゆく。 纏わり付いていた冷たすぎる空気は忽ち心地良い温度へと変化する。 寄る処が在るから、と、向けられた彼女の背中に向かって、あの、と、呼び止める。 「招待状───…ありがとう」 ありがとう ありがとう ありがとう 平凡な───…何処にでも居る、わたし、を、見つけてくれて。 「 どんな 酩酊感漂う 不意に生まれた沈黙、が、妙に心地悪く、自分の 思い当たった原因、に、…照れ笑いするしか無かった。 まるで───… 小学生の、恋の告白 「やっぱり敵わない」 嬉しそう、に。 本当に嬉しそう、に。 彼女は小さく手を振って、踵を返し、走っていった。 コンクパールのピアスを片方だけ、残して。 ───其の日 彼女は会社の屋上から身を投げた。 綺麗な女性、だった。 人の輪の中心で、何時も華やかに微笑んでいた。 なのに、わたしの うっすらと西日が差し込む、狭い部屋の片隅。 太陽と同じ色に染まった、木目調のカラーボックス。 ぽっかり空いた 空いたスペースの分、足許に山積みされた、紐で縛った、色褪せた表紙の本の山。 捨てられなかった、御伽噺 淡い夢の残骸 淡い 淡い コンクパール色、の 忘れられない───… |
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