逢魔ヶ刻 |
逢魔が刻
逢魔が刻
何を持って『魔』と称す? 誘い掛けたる、彼か 甘受したる、男、か
乗りたる、我か 未だ不景気を引き摺る 終業の鐘と共に飛び出した外は、連日の寒さが嘘のように暖かかった。 陽が傾き、薄闇が迫る中、待ち合わせ場所へ急ぎ足になりながら、開いた携帯に1件の着信。 『ゴメン。10分遅れる』 成人女性の平均に満たない、小柄で…幼くさえ見える シンプルな 愛想の1つでも振り撒けばさぞかしモテるだろう彼女は、料理上手と云う女性らしい面を持ちながらも その内面は非常に漢らしく、男性よりも寧ろ女性からの人気が高かった。 文面から察するに学生時代からの性格は変わっていないだろう。 女々しい───女性なのだから当たり前かも知れないが、何かにつけ色々を思い悩んでしまう己からすれば、 『憧憬』の一言に尽きる。 風がしのげ、且つ 複数の路線が入り組んだ主要駅から徒歩8分。 デザイナーズ、だろうか、全てがポリカーボネートで造られた 華奢な造りに強度はあるのだろうか、座った途端に折れたらどうしよう等と埒もない事が脳裏を掠める。 彼女の到着まで腰を据えようと、通勤用に使用している縦長焦茶色のトートバックから文庫本を取り出す。 テーブルに注文した、種子の混ざったブレープフルーツジュースが入ったプラスチックコップを目の前に 置くと、己と同じような、やはり仕事帰りであろう、人波を見るとは無しに眺める。 予想より酸味の少ない飲み物を一口啜り、小さく溜息を 俯きがち、少し青褪めた 人の群れの延長上、目の前のグラスの中、カラン、と、氷が溶けて涼しげな音を立てる。 ガラス一枚隔てただけの『 「───…ぁ」 視界の端 不意に飛び込んだ、映像。 ───彼、だ 遠目にも判る───…リラックスした空気を纏い、注がれる───…未だ見たことの無い、視線。 紡ぐ視線の先には、独りの男性。 彼と同じ位の身長 茶色掛かった、襟足長めの髪がふわり、と、風に舞う。 細身の オフベージュのハーフコートをラフに羽織り、時折、彼の顔を覗き込むように首を傾げる。 顔立ちの整った、中性的な───… ガラスに映り込んだ己が
───…独り 取り残されたよう、な
「 慣用句そのままの───…甘い、甘い、視線。
共犯者めいた視線、より 重ね合わせた面影、より
わたし、に、欲しかった モノ グラスの氷が溶ける程暖房が効いているのに
わたしの ───期待していた訳じゃ、ない
けれど
潤した筈の喉が、渇く。
喉元から競り上がる 気付きたくない 「お待たせ」 予告通り、10分遅れきっかりに、彼女は到着した。 「時間ぴったり…」 顔を上げた、其処には、彼女、と───… 直前迄眺めていた、彼、に、良く似た 「…久しぶり」 懐かしさの滲ませ、温度を感じさせる其の声───…記憶の中の『彼』
気付きたくない 気付いてしまった 彼に重ねていた 「卒業して以来だから…8年、振り?」 「───…良かった、忘れられてなくて」 目許 口許 くしゃり、と寄った笑い皺に、遠き日の面影を見る。 ───変わっていない、朗らかな笑顔 思ったとおりにそう告げると、彼女は、彼を微かに見やり 「成長してないってコト」 「お前は成長してるな…横に」 コンマ1秒で、彼の 「さ、こんなんほっといて移動しようか」 絶対零度の微笑みを浮かべ、彼女は云い放った。 たどり着いた先は、チェーン店の居酒屋。 原色の暖簾を潜った 平日の夜のせいか、未だ完全回復しない景気のせいか、会社員の姿はまばらである。 人のさざめきがBGMとなり、お互いの会話を隠す、絶好のカーテン。 忘れていた、感覚 ここ数ヶ月、自ら訪れることなど無いであろう、分不相応な程に落ち着いた店ばかりだった。 宝石店を営む、男、には、似合いかもしれないが。 穏やかな物腰 安心させる声音 知り得なかった世界───…なのに 此処に在る そして脳裏に浮かぶ 彼の 「何、頼む?」 己が逡巡を打ち破る、 「何頼む?この店、どれも当たりだよ」 「あたしのお勧めはねぇっ、大根餅とか大根餅とか大根餅」 「お前には訊いてないから」 歯切れの良い会話を交わす2人を羨望の眼差しで見つめる。 その視線に気付いたように彼は、わたしを見ると、ふわり、と、微笑んだ。 ───温度を感じさせる、 とくん、と、胸が鳴る。 遠い昔、秘めていた淡い想い。 諦めた訳でも、沈めた訳でも無い、忘れて久しい───其れ。 心地良い、その 気付いていた…その意味、を。 ───応じる気など無い、其れ。 ───応じられる事の無い…其れ
覆ったつもりの現実など、所詮まやかし 何を話したかすら朧げで。 どれ程の時間が経ったのか───…気が付くと、喧騒とは打って変わった雰囲気が、わたしを包んでいた。 抑えた照明の、隠れ家のような、自宅のような、何処か 血統書付きの猫の名を掲げる其の店は、以前『男』と共に訪れた、喫茶店を思い出させた。 眼前には、エスプレッソとチャイ。既に注文した記憶すら定かでは無く。 「最近、チャイにハマッててさ。ネットで検索掛けては足運んでるんだ、あたし」 嬉しそうに、カップに口を付ける彼女の所作と、一つテーブルを囲み、ゆったりとした時間を過ごす刹那は、 風が吹く このままでは居られない───…と |
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