夢の狭間 1
蒼い月が闇夜の天(そら)に映える
月明かり
波のざわめき
足元から細く伸びた 長い影
それが 全て
波間からわたしを呼ぶ わたし
陸地からわたしを呼ぶ わたし
どちらも自分であるのに 選べなくて
ぽつん と 独り 取り残された
この世に たった 独り
「‥‥ 003」
聞き覚えのある呼び声で夢は唐突に終焉を迎えた。
「‥‥‥もう 交替の時間?」
呟きながらフランソワーズはゆっくりとベットから身を起した。
「いや まだだ‥‥随分うなされてた」
細く長い指がフランソワーズの額の汗を拭ってゆく。
「夢を‥‥見てた」
「知ってる」
「そう‥‥ ごめんなさい 起こしてしまったのね」
何時の頃からだろう。
『 第一世代 』と呼ばれる彼ら4人は『 夢 』を共有する様になっていた。
常にという訳ではなく、それは気紛れに且つ唐突にやってくる。
「新鮮な空気でも吸いに行こうぜ」
仲間から002と呼ばれる赤い髪を持つ長身の青年がフランソワ―ズの背中に
手を添え、ドアのほうへと促した。
まっさらな砂浜に2人の足跡だけが 点々と続いている。
黄色のマフラーをたなびかせ、2人は無言で佇んでいた。
汗をかいた身体に冷たい潮風が心地良い。
「あれは‥‥わたしの夢ね きっと」
「なんでそう思う?」
「だって あれ は わたし だから」
「‥‥どういう意味 だ?」
波間からわたしを呼ぶ わたし
陸地からわたしを呼ぶ わたし
どちらも自分であるのに 選べなくて
ふふっ 笑い声に夢の言葉を添えてフランソワーズは淡く微笑んだ。
消え入りそうなその表情(かお)は何処か危うさを内包している様に見える。
「感謝しているのよ わたし‥‥こんな躯(からだ)になったこと」
フランソワ―ズの科白にジェットは目を瞠った。
『 こんな躯 』 ‥‥ サイボーグになったこと。
「 ‥‥‥‥ 」
奇しくもそれは、ジェットも感じていた事で。
決して口に出して云ったことは ないけれど ‥‥ 。
「あたしは 汚いから‥‥人間(ひと)の未来なんて どうでもいいの
‥‥あなた達さえ 幸せなら その為ならこの能力(ちから)は本当に
ありがたいわ‥‥‥ でも 」
フランソワ―ズの独白の間、ジェットは無言だった。
何時もと様子が違う彼女に戸惑っている。
しゅるん と衣擦れの音。
外したマフラーをジェットへ差し出しながら、フランソワーズは囁く。
生きることも 飽きちゃったし ‥‥ と。
「あたしのこと ‥‥ 殺してくれない?」
科白(ことば)とは裏腹に、その表情(かお)は、とても穏やかで。
「‥‥ 何を考えてる?」
「さぁ ね 何だと思う?」
にっこり微笑うと、フランソワーズはブーツを脱ぎ捨て、裸足になった。
普段は隠されているキメの細かな白い肌がなまめかしい。
‥‥ 妙だ おかしすぎる
壊れている としか表現しようのない言動。
初めて見るフランソワーズに、戸惑いを隠し切れないジェット。
「‥‥ こんな 月 だった 夢の中」
その科白に誘われる様に、ジェットも宙(そら)を見上げた。
蒼い月が闇夜の天(そら)に映える
月明かり
波のざわめき
足元から細く伸びた 長い影
それが 全て
波間へと歩みを進めながらフランソワーズが ほんの一瞬、垣間見せる
誰にも言わない 心の奥 の。
「このまま融けてしまえば楽なのに」
‥‥ この世から、消えてしまえたら
声無き叫びがジェットに届いたのか、ジェットは濡れるのも構わず
フランソワーズに駆け寄るとその華奢な両腕を掴み、そして彼女を呼んだ。
「 ‥‥フランソワーズ! 」
『 003 』では無く『 フランソワーズ 』 と。
遠い日の約束
2人の時はナンバーではなく、『 名前で呼ぶ 』こと
人間(ヒト)であるコトを ‥‥ 忘れないよう に。
息苦しい程の空気が、2人を包んでいる。
「‥‥‥ 大丈夫 だか ら」
それは、誰に向けた『 科白 』だったのか ‥‥‥
「ジェットなら良かった」
フランソワーズもまた『 002 』を『 ジェット 』と呼んだ。
只の人間(ヒト)になるための 合図 のように
「 オレ?」
「‥‥こんなに 優しいのに こんなに 強いのに こんなに‥‥」
語尾は消えてしまってジェットの耳には入らなかった けれど ‥‥
‥‥ こんなに わたし に 近い のに
「でも 駄目 なの ‥‥あの ヒト でなきゃ」
「フランソワーズ?‥‥て、おい 平気かよ」
「どうして こんな ‥‥」
フランソワーズの躯(からだ)から力が抜けてジェットへと倒れ込んだ。
と同時にその意識をも手放す。
完全に手放す寸前、ジェットの耳を打った 科白(ことば)。
「‥‥傍に居て‥‥ お願いだから 独りにしないで‥‥」
蒼い月が闇夜の天(そら)に映える
月明かり
波のざわめき
足元から細く伸びた 長い影
それが 全て
波間からわたしを呼ぶ わたし
陸地からわたしを呼ぶ わたし
どちらも自分であるのに 選べなくて
ぽつん と 独り 取り残された
この世に たった 独り
‥‥ 独り だけ
中天を彩る 蒼い月
足元から伸びる細く 長い影 は
深淵へと続き
凄惨な美しさを称えた月光が 真実を暴く
封じ込めた 心の奥底 の
深淵に眠るは
開けてはならない パンドラの柩(ひつぎ)
「2人の時はナンバーで呼ぶな」
最初にそう云ったのは、002 だった。
BGに捕らえられてから どれだけの月日が流れたのだろう。
疲弊しきったフランソワーズの精神(こころ)は限界に達していた。
決してそれを口にする事はなかった。彼女の全身全霊をかけて。
容赦なく耳に飛び込んでくる 断末魔 も 人々の祈り も
フランソワ−ズの心を打つことはなく。
広がる視界の光景さえ、モノクロの景色 でしかなかった あの頃。
時間(とき)を奪われ 父親を恋しがる 幼児 の泣き声。
最愛の女性(ひと)を失い 絶望する 後ろ姿。
空を見上げ 涙をこらえる 真摯(しんし)な 瞳。
それすら ‥‥ 凍て付いた心を溶かすこともなく。
‥‥ 幸せに なって
舞い上がる 黒煙
地面に煌く 血色の紅(あか)
血の紅がルージュのようだ と 不意に思う。
初めてルージュをひいたのは何時だったろう。
‥‥ バレエの発表会
くすぐったいような、大人になったような幸せだった頃の記憶。
頬についた返り血を薬指で拭い、唇に中(あ)ててみる。
ルージュ のように
ツー‥‥
紅 に替わりは ‥‥ ないのに
幸せに‥‥ なれなかった ‥‥
深淵に眠るは
開けてはならない パンドラの柩(ひつぎ)
封じ込めた 心の奥底 の 真実 という名の 封印
日に日に強くなる死への贖い難い憧憬を胸に秘め、ただ漠然と生きていた。
泣くこと 悲しむこと 戦うこと
生きること さえ 飽きてしまって。
『 シニタイ 』
云ってしまえば悲しむだろう。だから云わないと独り心に誓った。
‥‥ 戦いが 嫌いなフリ をして
‥‥ 平和が 嬉しいフリ をして
‥‥ 幸せな フリをして
‥‥ 生きている フリ をした
『 BGを倒す 』と 皆で誓ったことも、フランソワーズには
どうでもいいこと だった。
そんな時だった。002が何気なく云ったであろう 科白(ことば)。
「2人の時はナンバーで呼ぶな」
その科白(ことば)だけが 鮮やかな極彩色を 放つ。
その瞬間にフランソワーズは 判ってしまった。
『 彼 』もまた 死への憧憬を未だ持ち続けている『 人間 』 だと。
例え、口に出して云わなくとも ‥‥ 。
『 シニタイ 』
もし そう云ったのなら。
001ならつかの間の心の平穏を与えてくれるだろう。
‥‥ その能力(ちから)を 持って
004なら抱きしめて慰めてくれるだろう。
‥‥ 大人の 包容力 で
002なら ‥‥
‥‥ わたしに 近い から
002なら迷わず彼女を永遠の安らぎへと誘(いざな)ってくれるだろう。
その『 重さ 』に ‥‥ 苦しみながら。
‥‥ 幸せに なって
‥‥ せめて わたし に 近い あなた は
‥‥ わたしは 駄目 だったけれ ど
でもそうなってしまったら、ジェットはどうなるのだろう。
わたし は「幸せ」になれる かもしれない。でも 彼は?
‥‥ あなた達が 幸せ なら それで いい
‥‥ あなた が しあわせ なら ‥‥ ジェット
フランソワーズには、どうしても判って しまう。
ジェットはフランソワーズに『 近い 』から。
弱さ も 脆さ も 全て ‥‥ ひたすら 『 隠し 』て。
‥‥ 本当は 誰よりも 誰よりも ‥‥
‥‥ 優しい あなた
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