瞳の中の聖女
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頼りなげ、に揺らめく朱い月、が 仄暗い建物を照らし出す。 辺りに、目ぼしい外灯は無く、月だけを従えて立ち尽くす姿は、 キィ…と鉄の門扉が開く鈍い音がした。
「…ベ ル?」 聞き慣れた、メゾソプラノ
「…何 処…?」 決し遠い距離ではないのに、途切れ途切れに聴こえてくる声。聴けば、当然、顔も観たくなって。 『夕方6時迄』 約束したけれど。 ───刹那でいい、から 音のほうへゆっくり、と視線を投げると、視界の隅に引っ掛かる、彼女、の、 ───…瞳
「!?」 思わず息を呑んだ。
春の沈丁花 夏の梔 子 秋の金木犀 冬を忘れた、香り 纏う其れ等は変わらない、のに 瞳、だけ 瞳、だけ、が 穏やかな灰褐色は強い深碧色に変わっていた───… 考えても考えても考えても出口は見えず。思考だけが迷路に入り込んで。 焦点が有った───… アイボリーのクッションを背に、膝を抱え、自宅のリビングの、目前のローテーブルに置いた、マグカップを見詰めていた。 重なるのは昼間の、真っ白な、琥珀色の液体がたゆとうカップ。 「何時までそうやってる訳?」 頭上から少々ドスの聞いた、彼に似た声。2歳年長の姉、である。 タンクトップに短パンという軽装で風呂上りで濡れた、3日前にカラーリングしたばかりの、薄茶色の髪にタオルを巻きつけ、 腰に手を当て大上段に構えている。 「 「誰が」 「ぁ、オカシイのは元からか」 「お前に云われたくねぇ」 「うっわ、可愛くなーいっ」 「男が可愛くてどうするよ」 「えー?人生お得で楽しいぢゃン」 「………」 ナチュラルハイな姉は決して彼をシリアスに悩ませてはくれなかった…。 「恋の悩みかえ?青少年」 「…テメェ幾つだよ…っつーかヒトの心を読むな」 「アンタの歳の悩みってさぁ恋以外にないでしょ?」 「…訳、判んねぇ…」 「ん?」 「 「病気とか事故で視えなくなった、ってコト?」 「逆だよ…昨日視えなくて今日は見えてる、とか」 「病気が治った、とかじゃなくて?」 彼は無言で微かに頷いた。姉はタオルを肩に掛け、天井を眺める。 「見間違い、じゃない、んだよねぇ」 「…多分」 「本命・ 「…………訊いた俺が莫迦だった…」 「判んなきゃ本人に訊きゃいいじゃん」 単純明快、だが、真実の 彼は釈然としないまま、黙り込んだ。
朱い月 中空を飾る其れは血色に染まり 照らされる影は射すほどに蒼く 射すよう、に 刺すよう、に 蒼く 蒼く
まるで 無言のままに過ぎる やがて深夜と呼ばれる時刻、の リビングで彼の姉は彼が口を付けなかったマグカップを手に半端に開いた窓のアルミサッシに 背中を預け、ぼんやり、と月を眺めている。 其の横顔に降り注ぐ光、は 深く、白く───… 「あんた、さぁ」 「ん?」 「最近…あそこに入り浸ってるんだって?」 「……」 「独り?止めたほうが良く、ない?」 「関係ないだろ、そんなの」 「でも──…」 不意に世界は音を喪い。 姉の科白の一部だけが、まるで、音を消したテレビのよう、に、口パクだけになる。 ───…? 「ね、聞いてる?」 姉は訝しげに眉を顰め、彼の表情を眺める───…が。 我に返った彼は静かに立ち上がると、細長く急な傾斜の階段を上り、自室へと引き篭もってしまった。 |
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