逢魔ヶ刻  













年が明け、学生達が最終学期を迎えた頃に届いた、2通の着信メール。
手を伸ばして届く範囲に生活必需品全て置いてあるような、狭い部屋(ワンルーム)の中央に鎮座する正方形の炬燵の中で
ぼんやりと表示させた画面を眺める。


『久しぶりに皆で逢おうよ』


数少ない、学生時代からの友人。そして───…


『今週の水曜日、20時からの御都合は如何でしょうか』



小さく溜息を吐き、携帯を閉じる。
顔文字(きごう)も何も無い、素っ気無い程にシンプルな、見慣れない───…丁寧な誘い。
あれから男とは1度逢った。


『お食事をご一緒しませんか』


誘い文句通り、食事をして別れた。文字の如く食事のみで───…だ。
───何を要求するでもなく
男はわたしの話を静かに聞いていた。
会社での出来事、噂話にゴシップ記事───…他愛無い内容、の、お世辞にも上手いと云い難い、己が話術に耳 を傾け、相槌を打ち、談笑する。


「………………」


天板の上に置いた、ノートパソコンの、淡いブルーのマウスに右手を添え、画面に表示させているWEBページの 項目の1つをクリックしようと中指を軽く持ち上げた(ところ)で、ふと指を止めた。














あの人は何を(のぞ)んでいるのだろう













わたしは何を望んでいるのだろう
















「お嫌いですか?装飾品(ジュエリー)は」
「…え?」
「何時も()けてないようなので」


さりげなく男の襟元に目をやりながら、そう云えば宝石商だったっけ この人、と、ぼんやりと思う。



歓楽街に程近い、一般の住居と見紛う純和風の入口を掲げた其の店の内部は、懐かしくも新しい『懐古近代(レトロモダン)』の 様相を呈し、少人数収容のこじんまりとした個室数室で形成されている。
隣席に煩わされる事無く食事を楽しんで貰えるようにと配慮され、遮音性に富んだ其処で聴こえるのは、囁くような葉擦れの音ばかり。
何処よりも自然と遠い場所に在って、何処よりも自然に近い気配を放つ場所。




遠くて近い


迷い込んだ───…別世界




口コミ以外には、取り立てて宣伝するでも無い店だが、客足が途絶える事無く、「一元さんお断り」の付加価値(オプション) と相まって、通好みの名店として、其の名を広く知られている。

───遊び上手、なのだろう

初めて逢った場所もそうだった。




高級過ぎず
庶民過ぎず
寛げる空間






綺麗な記憶(やさしいかこ)







刹那い迄の
郷愁の気配








「…似合わない、から」

無意識のうちに口をついて零れ落ちた、科白。


「わたしがすると『首輪』みたいでしょう?首、太いし」
───…そんな事は」


暖房で温まった中指を首筋から胸元へと滑らせる。輪郭をなぞるように。
その場所に視線が注がれているのを感じ取る。
生理的な拒否反応が在る訳では無いが、良くも悪くも十人並み(へいぼん)な容姿、視られる事に慣れていない身には、如何 せん座りが悪く落ち着かない。


「折角綺麗なモノなんだから、似合う人物(ひと)がつけた方が、アクセサリーだって喜ぶと思うし」
「…………」

男は眼を丸くしたかと思うと、やがて苦笑にも似た其れに変わり───…そっと眼を伏せた。


「まさか、又聞けるとは思いませんでした」
「…え?」
「同じ事を云った知人(ひと)が居ました───…アクセサリーが喜ぶ、と」









無機物(アクセサリー)に意思があるかの如く








「…そう、なんですか?」
「随分と昔の(こと)です」


「……………」


穏やかな光を湛えた瞳が、眺めるだけの其れとは明らかに異なる───…熱を伴った強い意思の篭った其れに
親子ほど年齢の違う、かの人の其れ、は、子を見る其れにあらず。

まるで───…









愛しい女性(ひと)を見守るかのよう











底なし沼の如き自分の世界(インナースペース)の深みに嵌り掛けた、わたしの思考を中断させたのは、襖越しに仲居が発した、 たおやかな声だった。
一体何処から出ているんだろうか、と、訊きたくなるような舌足らずで甘ったるい、ハイトーン───…
『はちみつ』と称する人間(ひと)も居るであろう、その声の主は、見合った外見と見合わぬ機敏な動作で、次々に テーブルの上を料理の乗った器で埋め尽くしてゆく。

創作懐石、と銘打たれた其れ等は、非常に良心的(リーズナブル)な価格設定を施しながらも、見栄え・味共に一流店に何ら引けを取らぬだろう ───…と云った処で、その『一流店』とやらには片手で事足りる程しか行った事が無い為
真偽の程は定かではないのだが。
勿論、自力で行ける筈など無く、会社やら上司やらが資金提供してくれた時に限られている。


───此処で逢うのもいい、かも


先日の着信メールを思い出す。
久しぶりに逢おう、と誘い掛けてきた彼女。
グルメで料理上手なせいか、味に厳しいのだが、此処なら文句は云えないだろう、と過去(むかし)を脳裏に思い描いて
頬を緩める───…








───…か?」


高くも無く低くも無い、大人の声音に、たゆとうていた記憶(おもいで)から現実に引き戻される。


「っつ、ぁ、えっ…?」


太く丸い、手入れの行き届いた爪先で差し出された───…ブルーグレー地に豪奢な透かしが入った、封筒。
───…バイヤー限定の宝石(ジュエリー)展示即売会の招待状。 其れは、余り興味のない己ですら聞いた事の有る、名の通った有名な展示即売会のものだ。『卸売』と表現した方が判り易いかも しれない。市価よりも安価で上質な商品が手に入る上、手頃な商品を多く扱う事から、付加価値(プレミア)が付き、招待状そのものが ネットオークションで高値で取引される程だ。
わたしが其れを知っていたのは、以前に会社の同僚が競り落としたものを見た事実(こと)が有ったから、と云う至極単純な理由からであった。
良い事尽くめのようだが、実は大きな問題が頭上に燦々と降り注いでいるのだ。
開催場所、である。
幾ら都心の交通の便が優れているとは云え、当然例外は存在するものだ。距離の割には交通手段が限られており、乗り継ぎ回数、その際のロスタイムが多過ぎるのだ。



「彼を迎えに伺わせます」


『彼』

其の言葉に、鼓動が早まる。
動揺を隠すかの如く、無言のまま微かに頷き、視線を泳がせる。
何か話さなければ、と考えるも、鼓動が耳に付き、上手く言葉を発する事が出来ず、奇妙な沈黙が閉ざされた空間(こしつ)を ひたひたと満たしてゆく。


───動揺?







何に?













去来する、理由無き不安

長期間(ながき)に渡り、凪いでいた己が意思(こころ)に立つ、(さざなみ)



















わたしはあの人に何を望んでいるのだろう















next  back  index



寧ろあたしが自分の世界に
引き篭もりたいわ、切実に








SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送