逢魔ヶ刻  













逢魔刻(おうまがどき)





魔が差したのは、誰




大禍時(おうまがどき)





禍うは、己か、彼か



王莽時(おうまがどき)





葬られしは───…































本格的に底冷えする日。
雪でも降るのでは無いか、と、会社(オフィス)が在る、5階の開かない窓から曇天の空を見上げる。


「嫌な天気だよね〜」


のんびりとした口調で声を掛けてくるのは3歳年長の同僚。
正午間際のオフィスで本気で仕事をしよう、等と考えている人間(もの)は居らず、財布を握り、午前終業ベルが
鳴るのを、今か今かと足踏みしながら待ち構えている。
短大を卒業して就職したこの会社は、従業員数一桁の、一般で云う処の中小企業───…限り無く「零細」では
あるが、経営手腕の賜物か、給料が滞った事も、あくせくした処も無く、終始のんびりした空気が漂っている。

───単に、わたしが気付かないだけかも知れないのだが


「どうしたの?其れ。珍しいね」
「…たまにはいいかな、って」


目聡く見つけられた、胸元を飾る首輪(ネックレス)
頼りなげに揺らめく、乳白色(ミルキーホワイト)、の───…オパール




















───あの日。

男と過ごす時間と同じように、食事をして、彼と別れた。
終電には随分と時間(よゆう)が有った為、公共機関で帰宅するつもりで居たのだが、女性の一人歩きは危険だし、(あし)
有るのだから自宅(いえ)迄送る───…送らせて欲しいと押し切られ、結局、門扉まで送って貰う。


都心から車で1時間半。
県境に程近い、住宅街に在る、築8年の軽量鉄骨4階建ての集合住宅(アパート)
其処の3階で、わたしは独り住んでいる。6畳1間にユニットバス、典型的な単身者向けの造り。
ベッドの上に鞄を放り、部屋着に着替え、お湯を注いだばかりのインスタントコーヒーを少しずつ啜る。

マグカップを半分ほど空にした辺りで、一息()き、放り出した焦茶のトートバックから、持ち帰った展示会場のパンフレットを取り出す。
薄い其の中には展示されていた宝石の概略・協賛店名・所在地・電話番号・URL、そして
「このパンフレットを持参した方は店内全商品20%割引価格でご購入頂けます」
と、何処ぞの勧誘チラシのような文言。

パラパラと頁を捲ってゆくと、見憶えがある外観の写真が視界に映った。
住所を確認すると、会社の直ぐ近く───…通勤途中に存在する事が判った。

パソコンを立上げ、記載してあるURLを入力する。
トップページが表示されたかと思うと、数秒後には「取扱商品検索」の画面に遷移する。価格別・色別・宝石別
など項目のある中、宝石別を選び『オパール』と、打ち込み、検索ボタンを押す。
表示されていく装飾品(アクセサリー)を眺めていくうちに、唯一興味を惹かれた、涙型のオパールにシルバーで象った羽を
生やした、ペンダントトップ───…記憶の中に有る其れに、良く似た商品(もの)を見つけた。
尤も、羽部分はシルバーでは無く、Pt(プラチナ)貼と記載されており、形も涙型よりも寧ろ円型に近く、小振りのように思える。 所詮は数年前の、アテにならない曖昧な記憶、と、云う処だろうか。

似ているだけ、の








紛い物




───…錯覚に過ぎない









わたしは()を瞑ると、額を天板に押し付けた。






ちりり

ちりり





胸の疼痛(いたみ)は取れぬまま





















終業と同時に会社を飛び出し、昨日調べた店を目指す。
写真よりも遥かに狭い店内は、己が足音が騒音にすら聞こえ兼ねない程に静まり返っていた。
老夫婦で営んでいるらしい、其処は、付き纏う店員(マネキン)も、其れに付随する有りがちなセールストークも無く、
商売っ気無いな、と、呆れつつ、楽でいいか、と、考えてしまう。
人見知り、では無いが、初対面の人間(ひと)と気軽に話せる社交性も、持ち合わせていない。

目当ての商品(もの)を見つけると、婦人に声を掛け、会計を済ませる。
軽くなった財布と、浮き足立つ気持ちを抱え、相変わらず混雑している電車に乗り込み、帰途に着く。
───が。
自宅が近付く程に、弾んでいた筈の心情(こころ)が萎えてゆく。
ネックレスの重さの分だけ───…心情(こころ)も、(からだ)も、地面に沈み込んでゆくようだ。
所詮は偽物(もどき)、だと、思考(あたま)が意味不明な言葉を羅列する





何故?






判らない






何が?






何もかも











理解し難い、己自身










崩れゆく、足許

押寄せる、不安








膝の上に乗せた通勤鞄を抱え込むようにして、胸に抱きしめた。




















「気分転換とかあと…寂しい時も付けたりしない?」
「…そう、かな…」
「そうかなって…何、他人事(ひとごと)みたいに云ってんだか」
「そう、なんだけど」


科白(ことば)を濁すわたしに、其れ以上、詮索せず「お昼買いに行こっか」と彼女は話題を変えた。
運動、と称して、古びた雑居ビルを階段で下りる。兎角、仕事のせいにして(からだ)を動かさない為、せめて
此れ位は歩こう、と、天井知らずな体重増加にささやかな抵抗を試みる。

見上げた上空(そら)は、相変わらず泣き出しそうな曇天。
己が心の如きだ、と、ガラにも無く、詩的なことを考えてみたり。




















「驚いたでしょう?」


彼は薄苦笑を浮かべたまま、自嘲の如く呟いた。



車の中。
行きよりも渋滞した道路は、それでもマスコミで称えられる常の其れよりも遥かに空いていて。
鮮やかに、しかし哀しげなテールランプの波が視界の端を流れているのを、意識する。
不意に投げ掛けられた問いの意図が掴めず、戸惑う。


「日の高い街中で、あんな(こと)を持ちかけられたら」
───…


初対面の際の逢瀬を持ち掛けた話をしていたらしい、と、気付くが、首を縦に振るのは憚られるような気が
して、会社生活で培った、至極曖昧な表情(かお)で、彼をそっと見上げた。
柔らかな光彩(ひかり)を称えた、其の表情は、1度だけ垣間見た、『私的(プライベート)』の其れ───…
肩の力を抜くと、態々(わざわざ)正面へ向き直す。


「何で、ですか?」
「……?」
「何故、わたしだったですか?───…十人並みだし、目立たないし、知的な訳でもないし」
「……」
「ぁ…責めているんじゃ、なく、て。…判らないんです───…本当、に」




無理強いする事など無く




唐突な出逢い





日常の延長線上の、逢瀬




読めない意図









奇妙な沈黙が下りた、狭い車内。
信号が赤に変わり、ゆっくりと減速する。
空気が澱んだような、居心地の悪さがぴりぴりと肌を刺し、云うんじゃなかった、と後悔だけが(からだ)を満たす。
不意に彼が動くのが見えた。肩がびくり、と、震え、瞳をきつく瞑る。


ザー…



スイッチが入れられた、カーステレオ
流れて来る、ノイズ()じりの英語
鼻に掛かった、甘く響く擦れた(ハスキーな)男性ヴォーカル







まるで映画のワンシーンのような






















「或る女性(ひと)に…似ていたから───…















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